・・(2)・・

 階段を降りると左右に道が広がって、その道からまた分岐している。
地上の絢爛たる邸宅と異なり、地下の通路は天井に一応照明が設置されているものの、他の装飾は何も無い。周囲を囲む壁は天井や床も含め全てが真っ白で心理的圧迫感を感じさせた。

「迷路だな。これは。」
「壁伝いに歩いてみましょうか?少なくとも迷う事はありませんよ。」
「そんな事をしてたら日が暮れるだろ。暫く歩いて何も無ければ改めて準備して出直せばいい。」
「・・・だったら今引き返した方が・・・判りましたよ!一々そんな顔で見ないでください!ボスもちゃんと歩いた道覚えてて下さいよ!!」
「はいはい。判った判った。」
「返事は一回で、と学校で習ったでしょう?」

手元の時計で1時間程歩いただろうか。時が経つにつれ疲労が増していく。だが白い壁が続くだけで何も出てこない。複雑に入り組んだ道や白一色の壁が方向感覚を狂わせているような気がした。

「・・・そろそろ戻った方が良くはありませんか。これ以上進むと出口に戻れなくなります。」
ヤスの助言に今度はボスも冗談で笑ったりはしなかった。
「そうだな・・・。耕造の奴、よくもまぁこんなふざけた物を地下に作ったもんだ。ったく、給料の割にあわんぞこんなのは!」
「それでは・・・!ボス!!!」

気づいた時には既に真上から壁が滑るように落下してきて目前に迫っていた。ヤスは叫ぶと同時にボスの襟を掴み、力まかせに前方に引き倒した。その勢いで自分も床に身体をしたたかに打ちつける。身体を起こした時には既に帰路の道は遮断されていた。
「やりやがった・・・っ!!」
油断大敵とはよく言ったものだ。落ちてきた壁は重く、もはや来た道を戻る事はできなくなってしまった。塞がった壁をしばらく呆然と見やると二人はすぐに立ち上がった。
「すみません、とっさの事で・・・後ろに飛んでいれば・・・。」
「何を言ってる?助かった、流石だな。・・・まぁ、もうちょっと手加減して欲しかったかな。」
「こんな時だけ誉めないで下さいよ・・・」
完璧な状況判断が出来なかった事を悔やむ部下に上司は地面に打ち付けた自分の顔を摩りながら笑う。ヤスは心なしか顔を赤らめた。

「さて、どうした物かな。」
後方は遮断された。行き着く場所がどこにせよ前進するしか道は残されていない。いつもの胸ポケットから煙草を取り出し火をつける。
ほんの一口、吸った量よりも余分に息を吐き出すとすぐに足元に捨て踏みつけた。

「行くか。」
「はい。」

ボスから表情が消えた。いつもの笑顔も不調顔も無い。鋭い眼光だけが前を見据え意識は既に先に広がる無数の分岐点に集中していた。


分岐に遭遇する度に少し思案し、一貫して北東に進路を取った。全てが同じに見える壁に囲まれながら、太陽の光や磁石が無い状況で方角をよく判断できるものだと思いながらヤスはボスの迷いの無い足並みに追従し何とはなしに話しかけた。
「この方角に進むのは何か法則でもあるんですかボス?」
「勘だ。」
「・・・勘、ですか。」
半分くらいは予想していたが自信満々に合理性の無い返事を返され呆れを隠しきれなかった。
「地下迷宮といってもたかだか私邸の増築物にすぎん。とりあえず外周を把握できれば何とかなるだろ。」
「・・・最初に僕が言った事と似てますよボス。」
言いながら笑う。体力は消耗する一方だが、それでも漠然とした不安に駆られ恐慌に陥らないのは"精神集中時の上司の勘は狂いが無い"という、これも合理性の無い自信からだった。
こいつ、と返すとボスは部下に向き直る。
「最悪、今日一日ここから出れなくても上の連中が探しに来る。お前とここで心中って事はないから心配するな。」
「ただでさえ盆正月、年中一緒なのに死に際まで一緒、というのはあまり笑えない冗談ですよボス。大体、迷子になって他の人に見つけてもらうなんて状況は・・・。」
「まっぴら御免だ。判ってるじゃないか。」
慰めるつもりだったが言葉尻を返されて機嫌を損ねてプイとそっぽを向く。こういう所が憎めないと上司に気付かれない様にヤスは笑った。


何度目かの3方向への分岐に差し掛かった時、初めて変化が訪れた。
「ボス!!前方の壁に何か書かれてます!」
見てみると前方の右側の壁に小さく黒い字で落書きが書かれていた。

『これ以上先に行くな。引き返せ。』

「この状況で引き返す奴がいると思うかヤス?」
「引き返したくても戻れませんからね・・・。」
苦笑いを浮かべ前に進路を進めると先程と同じ壁が背後を遮断した。
今度は二人とも動じなかった。閉ざされた後方を見ながら確信がついたのかボスは口の端を少し上げた。
「当たり、だな。先に何かある、間違いない。行くぞ。」
「はい!」

そこから少し広い空間に出て突き抜けると今までの多様な分岐は減った。長めの一本道を曲がると分岐が現れ、そこには再び落書きが書かれていた。
「・・・『ここを左に曲がれ』とありますね。どうしますボス?」
「こう言われて素直に曲がると思うか?」
「・・・思いませんね。」
「何かあるなら進んで先を見てからでも遅くはない。さっきの例もあるしな。」

トレードマークのよれたコートを翻し先へ進むと螺旋状になっているのか、曲がりはするもののずっと一本道で分岐は姿を見せなかった。そして行き止まり――――

行き止まりには小さな金庫が壁に埋め込まれていた。
「迷宮の奥に隠し金庫・・・品性を疑いますね。鍵が掛かってる様です。」
「こいつで開くんじゃないのか?」
鍵穴を一瞥するとニヤリと笑いながらポケットから書斎で見つけた鍵を取り出す。小さな鍵を鍵穴に差し込むとそれは何の抵抗もなくカチャリと回った。金庫を開くと重要書類なのだろうか、何枚もの紙が収められている。
ヤスは金庫からそれらを取り出し一枚一枚書類の内容を確認した。

「全て借用書です。平田という男が耕造から300万程借りてますね。後、河村という人物にも何回か分割してお金を渡した事を記してあります。」
「・・・やれやれ、金塊ならともかくこんな地下奥深くに借用書とはな。よほど他人が信用できなかったという事か?金持ちの考える事はよく判らん。なぁヤス?」
ボスが話を振ると借用書を凝視していたのかヤスは半瞬遅れて答えた。
「・・・え、はい。ボスには特に理解不能でしょうね。」
「一言多いぞお前。」

部下の頭を軽くこつくと書類を一式押収するよう指示し帰路をとる。
来た道は既に塞がれていた為、先程の最後の分岐を左に曲がる。するとまた壁が落ち金庫への道を遮断した。
「何となく判ってきたな。」
「そうなんですか?」
「行きが北東なら帰りは南西だ。帰ったらとりあえず報告だけして俺は寝るぞ。参考人も増えた事だしな。」
「・・・・・・・。」
どこからその自身が沸いてくるのか、まず脱出する事が先だろうと思いつつも今更反論する気すら起こらずただ後ろを付いて行く。それから1時間程でもと来た入口に本当に辿り着いた時、ヤスは部下に配属されてから何度目かの感嘆の思いをボスに向けた。


激しい疲労感に見合うそれなりの成果を上げる事ができた所為もあって、地上に出た時は達成感が二人の体をほんの少し癒してくれた気がした。だが薄暗い迷宮で目が慣れてしまっていたのか外の太陽の光は眩しく、常は優しい色に感じる木々の緑も目に痛かった―――――


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 「捜査現場で丸一日潰れるとは思わなかったぞ・・・。」

署内捜査本部。
既に太陽は頭上を超えていたが、昨日の過剰労働の所為で部屋の主が出勤時間を大幅にオーバーしてきた為に全ての予定が昼過ぎにズレ込んだ。机の上にある始末書を目の前にして片手をつき、頬を乗せながら溜息混じりにボスがぼやく。それを横目で見やりながらヤスは二人分のコーヒーを入れている。

「しかも筋肉痛のおまけ付ですしねボス。昨日はよく眠れたんじゃないですか?」
「放っといてくれ。」
くすくすと笑う部下を無視して差し出されたコーヒーを音を立てながら啜る。まだ入れたての熱い液体をそのまま一気に飲み干し、ぽつりと呟いた。

「殺し、だな。」

部下が上司を見やる。空になったカップを持て遊びながらボスは自身に言い聞かせるように続けた。
「動機が無い。他人を犠牲にしてまでこれだけの財を成した男が何を思って死にたいと思う?どう考えても不自然極まりない。」
「では自殺に見せかけた他殺だとボスはおっしゃるんですか?」
「そうだな。俺なら他人にこれだけ金を貸したら返して貰うまでは絶対に死ねん。」

昨日押収した借用書の束を見ながらヤスに目配せする。
「死体の傷も思い切りが良すぎる。金銭が奪われた形跡も無い。大よそ恨みの犯行って所だろう。多くの人間に恨まれているとなるとそれだけ絞り込みも難しいが、まぁ調べて行くうちに固まってくるだろ。」
「また、そんな大雑把な・・・。」
自分で入れたコーヒーを一口飲むとヤスは真面目な顔で切り出した。「その内の一人である平田ですが事件当日、早朝から行方が判らなくなっています。」
「もう調べたのか。早いな。」
一緒にしないで下さい、と付け加えると説明を続けた。

「午前中に周辺の聞き込みをしてきたんですが、平田は花隈町で八百屋を営んでいたそうです。周辺に大きなスーパーが進出してからというもの経営が押され気味で相当苦しかったんでしょうね、山川の他にも何件か性質の悪い金融業者に手を出してます。・・・それと、娘が一人。平田由貴子、高校2年生。昔はかなり手に負えない不良だったようですが今は更正して学業に励んでいます。」
端正な顔で凛と話すその姿を満足そうに見やるとボスは口の端を上げて言った。

「相変わらずいい仕事にいい声だな。惚れそうだ。」
「かっ・・・からかわないで下さいボス!!!」
「持ち帰ったマッチはどうした?」
「・・・ボスの仰った通りに書かれていた電話番号に連絡しました。『ぱる』、新開地の真ん中にあるスナックだそうです。山川の行きつけかどうかは現地に行かないと判りませんが。」
赤面しながらヤスは答えた。うんうんと首を縦に振るとボスは立ち上がりヤスの肩に手を掛けいつもの笑顔で覗き込む。
「それじゃ、そろそろ始めるか。まず小宮を呼んでくれ。」


年は六十を越えているだろう、線の細い老人が取調室に案内されてやってきた。頭髪は白く、殆ど禿げ上がってしまっている。慣れない場所に連れてこられた所為もあって背を丸め、目は焦点が定まらず、おどおどとしてその行動は挙動不審そのものだった。

「山川邸で守衛をしていた小宮です。」
「どうも、この度は災難でしたね小宮さん。ちょっと、2、3、お話を伺いたいんですが宜しいですかね?」
突然主人と勤め先を失った可哀想な老人は声も出さず激しく縦に首を振った。
「死体の発見状況を。もう一度報告して頂けますか。」
「へ、へえ。18日に秘書の沢木さんが出社時間を過ぎても社長が来ない、連絡も無いとゆうて直接朝来はったんです。それで書斎の方を一緒に見に行ったらドアがしまってて。ノックしたんですけど返事ものうて。ノブを回しても鍵がかかってたんで、おかしい、思うてドアを体当たりで開けたら社長が倒れてて――――」
これまでの内容と同じ事をしどろもどろと話す。
特別、変化は見られなかった。

「そうですか、それじゃ伺いますが。」
ボスは小宮の目を正面に見据え聞いた。
「事件当日、17日の夜ですが貴方は、」
「わ、儂じゃない!儂はやってない!!」

ボスが台詞を言い終わる前に質問の内容を察知したのか小宮は真っ青になって叫んだ。その狼狽振りは凄まじく、気の毒にも思ったが質問を止める訳にもいかない。
「・・・誰もあんたがやっただなんて言ってませんよ?そうですね、質問を変えましょう。死んだ山川の事で何かご存知の事はありませんか?」
「儂じゃない!儂は何も知らん!!」
「・・・・おい。」

取り付く島も無い。先程の質問で完全に相手は取り乱してしまっていた。何を聞いても、取り成してもただ知らぬ存ぜぬと叫ぶ小宮に対して一瞬はたき倒したい衝動に駆られたが老人相手に無体を働く訳にもいかず、ボスはゆっくりとヤスの方を見やった。ヤスは頷くと狼狽の収まらぬ小宮の横に歩み寄り、思い切り目の前の机を叩きつけた。

「警察にそんな言い訳が通用すると思っているのか!!」
机の軋む音が響き渡り、取調室が一瞬にして静まり返った。
恐怖の対象が目の前の自分から真横で凄む青年に移るのを確認するとボスは左手を上げ、ヤスを押さえるような仕草を取り、ゆっくりとめったに使わない優しい声で話し掛けた。

「なぁ、本当にあんたがやったなんて思ってないさ。これも一応仕事なんでね、聞くべき事は全部聞かなくちゃいけない。あんたは人を殺せる様な人間じゃない。他の連中はともかく、俺はそう思ってる。勤続15年の経験がそう感じさせるんだ。」

多少芝居が過ぎる気もしたがその甲斐あって老人の泣きそうな表情にようやく安堵の色が広がった。
「だが、あんたは何かを隠してる。これも勘だ。・・・残念だが勘だけで捜査はできなくてね。知ってる事があるのなら話してくれないか。何よりもあんた自身の為に。」
いつだって勘だけでしょうと言わんばかりな部下の視線を受けながらにっこりと笑う。

小宮は少し俯いて、ぽつりぽつりと小さな声で喋り始めた。
「判った・・・言う。事件の夜・・・実はこっそり抜け出して飲みに行ったんじゃ。もう誰もこんと思うて・・・しかも、玄関の鍵を掛け忘れて・・・。儂は・・・儂は・・・。それだけじゃ!!儂はやってねぇ!!ほんまじゃ!信じてくれ!」
「住込みで守衛をしてたんじゃなかったのか・・・?」
ヤスが呆れたように呟いた。小宮は小さく肩をすぼめ震えている。
ボスは首を振り視線でヤスを制すると今度は本当に表情を緩め小宮の肩を軽く叩き慰めた。
「よく話してくれたな爺さん。十分だ、これであんたのアリバイを取ってやれる。ヤス。」
「判りました。確認をとります。」

ヤスが身を返しドアのノブに手を掛けた時、小宮は弱々しい声で呟いた。
「あの人は・・・確かに、あの人は色んな人に恨まれとった。けど、身よりも無い、立ってるしか取り得の無い儂を長い間雇ってくれてたんじゃ・・・。それなのに・・・それなのに・・・。」
老人の目に浮かぶ後悔の涙を二人はただ見つめるしかなかった。


「また、何か思い出したら教えてくれよ。気をつけてな。」

小宮を外門まで送ってやるとボスは手を振り見送った。
ヤスが確認したところによれば小宮が殺害時間に馴染みの店で飲んでいた事はすぐに確認できた。そのまま山川邸に帰宅し眠りにおちたのだろう。問題なく白星がついた訳だが、当日に誰が山川邸に来ても進入可能だったという状況が捜査の幅を広げたのも事実だ。ボスの隣で同じく小宮を見送ったヤスは苦笑いを浮かべて言った。

「優しいですねボスは・・・。」
「女子供と老人には優しくしないとな。無論犯人だったら別だが。それより良い演技だったぞヤス。」
「お互い様です。憎まれ役は慣れてますよ。」
「そう、むくれるなよ。今度肉奢ってやるからさ。」
「淀屋の焼肉定食ならもう飽きましたよボス。そうですね、コース一万円くらいのステーキなんかだと嬉しいんですけど。」
「俺の財布の中を見てから言ってくれ。」

笑いながら二人は署に向けて足を速めた。話を聞かなければならない参考人はまだ何人も残っているのだから。








































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