・・(3)・・

 小宮の後に案内され部屋に入ってきたのは山川の甥である俊之という男だった。年はヤスと同じくらい、背はそこそこ高く体格もがっちりとしていて容姿も悪くは無かったが好青年という表現からは程遠い。
耕造のたった一人の身内。数年前に一度傷害で逮捕されていて港の近くのアパートで一人暮らし、というのが前情報だった。

自己顕示の象徴であるパンチパーマ、着くずれたシャツ、表情を覆い隠すグラサン。唯一の身内を失ったというのに哀憐の情を見せるそぶりもない。出頭を要請された事自体不満に思っているのだろう。態度の不遜振りは叔父の2割増程に見えた。

「さっさと済ませて終わらせてくれや。」
姿勢を正す事なく吐き捨てた。
第一印象からして好意的態度をとりようもない。

「17日の夜どこにいましたか?」

今度はヤスが参考人の前に座り静かに問う。ボスはドア付近の壁に寄りかかり両手を組んで眺めている。
「あ?その時間なら家にいたな。」
「そうですか。それでは叔父の耕造氏の事でご存知の事を話して頂けますか?」
「まぁ、俺にとっちゃ良い叔父貴だったな。いつも小遣いくれてよ。」
下卑た笑いを浮かべポケットから煙草を取り出した。

「刑事さん火ある?急に呼び出されたからライター忘れてきてな。」
「・・・。悪いが持ち合わせていない。」
「何や、気の利かん奴やな。あんた。」
ヤスの表情が硬くなったのを見て俊之は面白そうに笑う。ボスはコートから自分のライターを取り出し俊之に投げてよこした。
「お、サンキュー、刑事さん。」

煙草をふかしながらのらりくらりと質問をかわす。見るからに怪しいが世渡りは上手いのだろう、付け入る隙をみせなかった。忍耐の限度を極めつつある部下と不遜な参考人を交互に眺めつつボスが両手を組んだまま言った。

「もう帰っていいぞ。俊之君。」
「しかしボス。」
「いいから。長い事悪かったな。また呼ぶかもしれんがその時も頼むよ。」
ボスの台詞にヤスは不満げに押し黙ったが、ふと思い出して俊之に向き直り背広のポケットに入れてあった証拠品の内から指輪を取り出して見せた。

「これに見覚えはありますか?」
俊之は初めてまともにヤスに反応を返した。
「お、これは俺が由貴子にあげた物じゃねえか。どうしてこれを?」
「由貴子?平田由貴子の事か?」
「他に誰がいるんだよ。」
俊之は少し顔を赤らめている様だった。指輪をまたポケットに収めるとヤスは笑って俊之を送り出した。
「結構です。お疲れ様でした。気をつけてお帰りください。」
「・・・その前に、写真を一枚いいかな?」
「何に使うんだよ。」

ヤスにカメラを手渡すボスに俊之は不快感を露にして食ってかかった。ボスは嬉しそうに俊之の肩を抱きこそこそと呟いた。
「ま、ちょっとした参考資料にな。心配しなくても変に使いはしないさ。ここに来た人間には皆協力して貰ってるんだ。もちろん、由貴子君にも協力してもらう事になるが・・・」
意味ありげに俊之を見つめる。
「・・・・・・。今度何かあったらまた呼んでくれや。」
シャッターの音がぱちり、と鳴る。事が済むと俊之は来た時よりも機嫌良く取調室から出て行った。


「ここにきた人全員の写真なんて取った覚えはありませんがボス。」
「ん?ああ、小宮の爺さんは忘れてただけだ。大体あの爺さんはシロだから問題ない。」
「あいつ、絶対に何か隠してますよ。何故こんな早々に帰したりなんかしたんです?」
ヤスが不満げにぼやく。

「今ここで何を聞いても時間の無駄だと思ってな。奴さんの周りを探って掴んでからでないと口を割りそうにない。・・・それより、よく指輪の事を思い出したなヤス。」
言われてヤスは嬉しそうに笑った。
「見つけたのが山川邸の玄関前でしたから。出入りしてる者ならひょっとしたらと思いまして。勘ですよ勘。ボスの変な癖が移っちゃいましたかね。」
「変・・・?」
それまで笑っていた上司の眉がピクリと上がるのを見るとヤスは慌てて話を変えた。
「あ、いえいえ。それより俊之の奴、あの顔で意外と純真なところがあるんですね。」
「平田由貴子か。どんな子か知らんが趣味が悪い事この上ないな。」
「ですね。」
「俺なら殴り飛ばしてる。」
「・・・男に指輪は送らないと思いますよボス・・・。」
気持ちの悪い想像をして顔をしかめる部下を無視して次の指示を出した。


夕暮れ時、取調室に平田由貴子がやってきた。
高校2年生。未成年であり、学生である事を考慮しこの時間帯の取調べとなった。
確かに、俊之が熱を上げるだけあって器量は良い。勝気そうな瞳にまだあどけない面影が残っていて長い髪を頭上近くで結い上げている。少し前は随分と悪い噂があったようだが、今は外見上そんな噂とは無縁に見えた。
父が行方知れずになっている事を含め、俊之との関係も確認する必要があった。

「刑事さん。あたしに何か用?」
由貴子は臆する事無く正面きって口を開く。昔の杵柄とやらで肝はしっかり座っているようだった。言葉遣いは蓮っ葉だが容姿の所為か持って生まれた雰囲気の所為か嫌な印象は受けない。

「ええと、17日の夜、どこにいましたか?」
少女相手の尋問は慣れていないのか少々ぎこちなくヤスが聞いた。薄笑いを浮かべながら見るボスをキッっと一瞥して少女の方に向き直る。
「ねぇ、どうしてそんな事あたしに聞く訳?家に居たけどさ。」
「じゃお父さんがどこに行ったのか判るかな。」
「んー。京都に行くって・・・。それ以上の事は知んないよ。」
「京都・・・・。そう、山川耕造という人の事は知ってるかい。」
「親父がお金を借りてた人よ。それだけ。」
由貴子ははきはきと素直に質問に答えた。

「それじゃ・・・・これは君のかな。」
先程俊之に見せた指輪を取り出し目の前にかざして見せた。由貴子は少し目を見開いて指輪を見たがすぐに笑って手を振る。
「な、なーにそれ?あたしのじゃないよ。」
「でも俊之君が君にあげたと言っているけど・・・。」
「嘘よ。あたしがあんな男から貰う訳ないじゃん。もし貰ってもすぐに捨てちゃうよ。」
「あんな男・・・ね。」
思わず吹き出しそうになったがなんとかこらえて指輪をまた収めた。
「どうもありがとう。後、写真だけ撮せてもらうけどそれで終わりだから。
もうじき暗くなるから気をつけて帰ってね。」
「うん、それじゃ。そうだ、刑事さん!良かったらいっぺんここ来てみてよ。」
由貴子はカメラにポーズをつけて笑うとバイト先の宣伝用チラシをヤスの手に握らせ小走りに署を後にした。


「ヤス・・・。最短記録だ。」
しみじみと語るボスにヤスは耳まで真っ赤にして叫んだ。
「だ・・・!な、何言ってるんですか!!良い子じゃないですか!!!」
「・・・そう力説しなくてもいい。チラシが折れ曲がってるぞ。」
「・・・・・・。」
「後は・・・秘書の沢木文江で最後だな。それから検証だ。」

また、思案にふける。表情が消えている。周りの音はもう耳に入っていないように見えた。ヤスは伺い知れないボスの表情をただ静かに見つめた。


===================


 第一発見者、沢木文江。
2年前程から山川の元で秘書を勤め、山川も彼女に絶大な信頼を寄せていたらしい。勤務態度は至極真面目で愛想も良く近所では評判が良かった。

美しい顔だちだった。特別華があるという印象ではなかったが整った目鼻や理性を感じさせる表情がどこか憂いを帯びていて、見る者を惹きつけた。小宮と共に上司の惨状を目の当たりにしたショックが抜けていないのか表情の陰りはいつもより深いように見える。
先程からかわれたのに懲りたのか、ヤスは席を上司に譲り後ろで話を聞きながら調書をまとめていた。

「遅くにすみませんね沢木さん、少しお話を伺わせて頂けますか。まず、死体発見当日の状況ですが。」
答える文江の声は暗かったがゆっくりとした口調で小宮と同じ事を簡潔に答えた。発見状況も訪問時間も寸分の違いは無い。

「そうですか。それでは・・・気を悪くせんで下さいよ。事件前日、17日の夜の貴女の行動をできるだけ詳しくお話願えますか。」
「はい。その日は会社が終わって7時から英会話の学校、それが10時まで。その後は家に帰って寝てしまいました。」

聞かれる事を予測していたのだろう。同じ口調で淡々と答えた。供述が本当なら彼女もまた捜査対象外になる。
「耕造氏については?」
「仕事では一緒でしたが私生活の事まではちょっと・・・。」

ボスは頷きその後いくつか別に質問したがこれといって事件に関係のある答えは返ってこなかった。終始落ち着いた感があるのは秘書という職業柄か、事件に何ら関わり無いという自信故か。先刻の少女程感情の見えぬ女性に一種の感慨を抱きつつ聴取を切り上げた。
現段階で疑いの余地は無く、ボスはヤスに写真を撮る様指示すると文江の方を向き笑った。

「ありがとうございました。今日はもう結構ですよ。気をつけてお帰り下さい。」
文江は軽く会釈をすると立ち上がり踵を返した。その仕草に軽い既知感を覚え思わず声が出る。

「あ。」

呼び止めるつもりで出した声ではなかったが彼女の耳にも届いたのだろう、動きを止めボスの方に向き直った。

「はい?」
「あ、・・・いや、以前どこかでお会いした事はありませんか。」
我ながら陳腐な台詞だ、と思ったが口に出してみる。文江は苦笑いを浮かべて答えた。
「さぁ・・・社長が亡くなった日にお越しになってたのなら多分。すみません、来られた刑事さんの顔を覚えてる余裕が無くて・・・・。」
「ああ、いやいや、いいんですよ。単なる思い違いでしょう。引き止めてしまってすみませんね。」
正面を向いて話をすればなぜ既視感を感じたのか判らなくなりバツの悪い気がして笑って流す。後ろで部下の小さな咳払いが聞こえたような気がした。
「それでは失礼します。」
ドアが静かに閉められて取調室には二人だけが残された。


「・・・ボスも案外隅におけませんね・・・。」
「似てると、思ったんだがなぁ。」
「・・・・・。」
「可愛い子は会ってたら覚えてる筈なんだがなぁ。」
茶化すように話す部下の台詞を表面上無視して独言のように呟く。
捜査関係で一度見た顔を忘れる事は無いし、事件と無関係なら特に印象にも残らない筈なのだが。暫く思案にくれていたがどうしても思い出せず、すぐにその件は脳から追い出した。

「まぁいい。とりあえず地固めだ。3人まとめてウラをとるぞヤス。」
「はい。」
「今日取れなければ明日、直に周りを探る。行方不明の平田も探さなきゃならん。・・・遅くなるが大丈夫か?」
「いつもの事です。帰れるだけありがたいですよボス。」
笑う部下に頷きコートから煙草を取り出して一服吸う。聴取の手前我慢していた所為もあって呑む煙は胃に染みた。


結局、その日にアリバイ確認が取れたのは沢木文江だけだった。
他の二人が自宅にいたという確認は取れず、明日へ持ち越しとなった。

「沢木文江が通ってる英会話学校で当該時間に受講していたのは間違いないそうです。また、文江に耕造を殺す動機があるとも思えません。他の二人と平田を探るのが妥当かと思いますが。」
「・・・そうだな。」

頭の隅で何かが警鐘を鳴らしているような感覚に捕われたのはあの憂いのある表情の所為だろうか。それとも先ほどの得体の知れぬ既知感の所為か。完全にアリバイが成立した以上、彼女に拘泥する理由は何も無い。そう結論づけると調書を見ながら口を開いた。

「あのお嬢ちゃんも指輪の件で何か隠してるだろうが・・・とりあえずこいつだな。」
パンと指先で俊之の写真を叩く。
「確か港付近で一人暮らし、とか言ってたな?」
「はい。日頃はパチンコやら麻雀やら、ふらふら遊び歩いてるようです。耕造が死ねば莫大な遺産が彼の物になります。あるいは・・・。」
「想像力逞しいのはいいがあまり自論に拘るとどん詰まるぞ?」
「はい・・・。」

諭されて萎縮がちに俯く部下に微笑むと下から覗き込んで小声で呟いた。
「明日、朝一番に奴の外出を見計らって自宅を捜索する。いいな?」
「は・・・は?!ボス、捜査令状は?!」
規定無視の行動に思わず顔を上げ声を張り上げる。慌ててボスはヤスの口を押さえた。

「馬鹿。んなもん取ってる暇が無いから小声で話してるんだろうが。何も無ければ問題無し、何事も迅速優先。だろ?」
「貴方という人は・・・・。」
押さえている手を外しながらぐったりと肩を落として小声で呟いた。
「今更。何年俺と一緒に組んでるんだお前。お前だってアレが一番怪しいと踏んでるんだろ?」
笑うその表情はどう見てもイタズラを企てる悪餓鬼そのもので、ヤスは観念して苦笑いを浮かべた。その表情も相手には同じ様に映っているかもしれない。

「3年です。処分を受ける時は一連托生ですね。判りました、明日の朝までに住所を割り出して鍵の手配をしておきます。」
「ほんと、物分りが良くて助かるよお前。じゃ、明日神戸港の入り口前でな。お疲れ。」
そう言って部下の背を力一杯二度ほど叩いて笑う。調べ物と整理の都合上少し遅くなった事もあってその日二人は別々に帰途についた。


もうすっかり日が暮れ、徐々に冷える夜の冷気と、同じく帰途につくサラリーマン達の喧騒に包まれながらヤスは帰途の途中ぼんやりと上司の笑顔を思い出した。

そう、こんな無茶は日常茶飯事の事だ。規律通りに動く方が稀な事で。
小宮の件にしても彼の責めるべき怠慢を指摘しなかった。だけど納得できない事には決して手を緩めない。傍から見れば感情だけで動いている様にも思える。

それでも。
一番真実に近いのも彼だった。署長に受けが良い事も含め、犯罪を解明する為懸命になるが故の行動は見る者によっては不快に感じられるかもしれない。
刑事は誰もが皆懸命だが規律を重んじて情を省みる事のできない事もある。その一歩を踏み出すのに勇気が必要になる事もあるのだ。
後始末に翻弄させられても自分が目指した理想像に限りなく近い上司と共にいれる事は幸せな事だと思った。


・・・とても。

小さくついた溜息は賑やかな周りの雑踏に掻き消された。















































































NEXT