・・(4)・・

 神戸港――――――
中央ターミナル前の中央堤から観覧車が一望できる。
大きな赤い観覧車は数年前、ポートピア博覧会が終了して遊園地となったそこの巨大なシンボルでもある。
まだまだ冷え込む時期、早い時間帯と潮風の所為で手足が少し悴む。それでも頭上に広がる空は雲一つ無く、まだ低い太陽の光が柔らかく周囲を照らし、時が経つにつれ冷気が和らいでいった。

ヤスが腕時計に何度目かの視線を落とした頃、ようやくターミナルの方からボスがやって来た。
服装だけはきっちり決めているものの表情は寝起きの顔そのものだ。いつも出勤する時間と比べて1時間弱ほど早い。捜索対象の俊之が早朝出かける様な健全な世活を送っているとも思えなかったが周辺の聞き込みも併せてこの時間に、と決めたのは目の前で欠伸を連発してる上司である。

「いい天気じゃねえか。」
「・・・10分遅刻です、ボス。」

決めた本人が遅れてくれば世話は無い。
欠伸の後軽く背を逸らし、この後に及んでにべも無い上司にヤスは露骨に自分の腕時計をかざした。少しずつ寒さは和らいできていたが待っている間に外気に体温を奪われ足先はすっかり冷えてしまっている。文句の一つも言ってやろうと上目使いに睨むとボスはポケットから小さな白い袋を取り出してヤスの手に握らせた。

「細かい事言うなよ。これでも努力したんだぞ?・・・ほら、これやるから。」

十分に温まっているカイロを手渡され思わず苦笑が漏れる。
いつもより目覚まし時計を2つ多くセットしたとか、それでも気がついたら止まっていたとか、寝坊した小学生の様な上司の言い訳を聞き流しながらカイロで暖を取り自分のポケットに仕舞うと気を取り直して報告を始める。

「俊之のアパートはここから歩いて7分程の場所です。おそらくまだ自宅にいると思われます。が・・・今日出かけますかねあいつ。」
「それは大丈夫だろ。今朝の朝刊に"新台大量入荷"の折込チラシ入ってたから。この辺のパチンコ好きな奴なら飛びつくさ。」
「ちゃんとチェックしてきたんですねボス!」

何だかんだ言っても刑事歴15年のベテランである。尊敬と期待の眼差しで見つめる若い部下に頷くと溜息をついてぽつりと呟いた。

「これが無かったら俺も行きたかったとこなんだがな。」
「・・・・・。」
「何だ?いいぞパチンコは。釘の角度を選別する時や絵柄が揃うか揃わないかの瞬間がだな、」
「そういう話は今度非番の時にお伺いしますよ。」
既に崩壊したイメージに今更加味が加えられようとどうと言う変化はない。しかしこれ以上時間を無駄に消費されても困るのでヤスはにこりと笑顔を浮かべ、延々と続きそうな趣味の会話を有無を言わさず遮った。
「少し、聞き込みをしてから行きますか?」
「・・・おう。」

早朝の釣り人と倉庫の警備員に当たりをつけ聞き込みを始める。思いの他この辺をうろついているらしく写真を見せると大抵の人は頷き答えた。
「え、この人?ここよく通ってるから知ってるよ。時々誰かと一緒に。17日の夜?・・・ああ、うん、見ましたね。」
「・・・ボス。」
「ああ。」
叔父の耕造が殺された時刻、俊之はこの港にいたのである。それなら何故取調の際そう答えなかったのか。虚偽の供述をすれば己の立場を悪くするだけであるのに。

「どうしますボス。」
自分達が追っているのは殺人事件の犯人。だがアリバイが成立しても不審人物である事には変わりない。ほんの些細な事でも繋がりがあるかもしれないし何より、あの男からは犯罪の匂いがする。ボスは少し考える風にしててからゆっくりと笑った。
「折角早起きしてここまで来たんだ。行って損する事はないだろ?」
「バレたら大目玉ですけどね。」
返す部下の顔も笑っていた。


港から歩いて10分弱の場所に俊之のアパートがある。
正面入り口から死角になる位置で彼の外出を待つ。午前9時頃、思惑通りパチンコ屋の開店時刻に合わせるように俊之は出かけていった。
「出ました。」
「鍵は?」
「大家から直接借りてきてます。行きますか?」
「・・・よし。」

鍵を開け踏み込んでみると南向きの日当たりの良い部屋で薄い緑色の壁紙が貼られていた。想像していたよりもサッパリとして綺麗な部屋だった。
「綺麗と言うより、何も・・・無いですね。」
寝に帰る為だけに利用してるのだろう。最低限の家具と机、電話機だけが置かれ叔父の屋敷に比べ生活感が稀薄に見える。手袋をはめ、捜索しようにも触る物が殆ど無い。
「そのくせ電化製品だけはいいもん使ってやがる。最新式のプッシュホンときたか。」
「ボスの家に設置されるのは当分先か・・・縁が無いかも。・・・やだなぁ。冗談ですよ。」
ヤスは上司の睨みをかわし署内ですらまだ普及しきっていない電話機を物珍しげに眺めた。ふとその下に挟まれた小さなメモ用紙が目に入る。メモには波打つような字が書かれていた。
「・・・何だ走り書きか?」
「"こめいちご"と書かれています。こめ、いちご・・・。あるいは米が一合とか?何の事でしょうか?」
「・・・・・・。」
「落書きにしては意味不明ですよね。」
「こめ・・・米か。」
「あ、別に僕の冗談真に受けなくても・・・」


「米、米印。・・・アスタリスク、なんてな。」


上司の呟きにヤスは目を見張って見上げる。
「え?」
「*、1、5。短縮ダイヤル。」
「あ・・・!」
「この前婦警のオバハン連中が使い方が判らんだの何だの言ってたからな。・・・見直したか?」
部下の反応に満足して得意気に笑う。
「ええ!これで繋がれば!かけてみますね。」
「お前な・・・。」
後ろでぶつぶつと文句を言う上司を尻目に受話器を取り上げ、言われたプッシュホンを押す。コール音が響き程なく回線が繋がる。ヤスはボスに目配せすると電話の相手の反応を待った。

『もしもし?俊之か?すぐに港に来てくれ!!例の物を渡すからな!』
聞こえてきた声の主は此方の声を確認するまでもなくお構い無しに用件を捲し立てる。一瞬あっけに取られ反応出来なかったのを相手も気付いたようで再び訝しげに問うてきた。
『もしもし?』
「あ、もしもし?・・・俊之は今回行けなくなったんだ。だから俺達が頼まれた。構わないか?」

咄嗟に口走った台詞は理由付けにしてはお粗末だったが電話の主は急いでいる様でそぐに会話に乗ってきた。
『・・・判った、早く来いよ!』
それから待ち合わせ場所と時間を確認しヤスは受話器を下ろした。会話の一部始終をボスに報告する。

「咄嗟にあんな事言ってしまいましたが、これは一体・・・」
「例の物・・・か。どう思う?」
「あまり、良い印象ではなかったですね。本人でもない僕を無条件で信用した所を見るとこの短縮ダイヤルは内々の暗号だったんじゃないかと。だとしたら・・・」
「だとしたら、こんな人目につく所に暗号書いたメモ置くのは間抜けとしか言いようがねぇな。」
「まぁ、あいつも他人が勝手に部屋に入るとは思ってないでしょうし。」
好意の対象から程遠い人物であってもこの状況で文句を言われるのは気の毒で肩をすくめて苦笑いを返す。
「・・・行ってみるか。」
「ですね。」

待ち合わせの場所は朝方聞き込みをした場所から程近い所だった。
「待ち合わせはここの筈ですが・・・あの男でしょうかね。」
見れば男が一人紙袋を手に佇んでいる。
「趣味の悪いシャツだなおい。赤のポロシャツに黒のズボンかよ・・・しかもがに股だぞ。」
「関係ない事つっこまないで下さい。じゃ、行きます。」
「・・・気をつけろよ。」
ヤスは頷くと男から見えるようにゆっくりと歩き出した。ボスは建物の死角から身を潜め部下と相手の動きを監視した。
「こちらから話を・・・あ、待ってください。男が近づいてきます。」
小声で悟られない様後ろの上司に知らせる。目の前の男は人相こそ悪かったが友好的な態度で近づいてきた。
「さっき電話くれた人だな?」
「ああ。」
「じゃあ、この包みを受け取ってくれ。俊之によろしくな。」

頷いて包みを受け取り中を確認する。包みの中には小さなビニール袋が詰め込まれ袋の中には真っ白な粉が顔を覗かせている。付けられたラベルには出産地と見覚えのある銘柄が書かれていた。
「・・・・・!!!!」
包みを持ったまま後ろの上司に聞こえるように叫んだ。
「麻薬です、ボス!」
ヤスが叫び終わるのを待たず、ボスは目の前の男に飛び掛った。急襲に驚き男は受身も取れず地面に叩き付けられる。蛙を潰したような悲鳴が男の口から漏れた。
「な・・・・!?」
「麻薬密売の現行犯で逮捕する!ヤス、署に連絡しろ!!」
「はい!」
「げ――っ!!しまったぁ!!」
この時ようやく男は自分の置かれた立場を理解した。だが強烈な力で地面に押し付けられ一瞬の内に後ろ手に手錠を掛けられると男は諦め抵抗するのを止めた。
「・・・・・阿呆だろお前ら。」
こうもあっさりボロをだす犯罪者を見るのは久しぶりで呆れるというよりむしろ失笑が込上げてくる。程なくやってきた所轄の警官達に男を引き渡すと埃のついたコートを手で払い溜息をつく。
「何かろくでもない事をしてるだろうと思ってはいたが麻薬取引とはな・・・。」
「今再度聞いたんですが俊之の奴が時々一緒にいた人間はさっきの男で間違い無いそうです。」
「成程。」

プッシュホンでの密会。取引の内容。それらは殺人事件と同様、言うに憚られる犯罪である。虚偽の供述をした理由にも頷ける。
「さて・・・まだ日も高いし、署に戻るか。」
「呼び出しますか?」
「当然。」
そう言って欠伸をする上司の緩んだネクタイを締め直してやりながらヤスは微笑んだ。


取調室。
駅前のパチンコ屋でぷらぷらしていた所を無理矢理呼び出された俊之は機嫌も態度もすごぶる悪かった。
「17日の夜、何処で何をしていた?」
俊之は暫くの間、机を挟んで向かい合うボスを睨みつけていたが横で高圧的に見下ろし命令口調で話すヤスに堪忍袋の緒が切れたのか激昂した。

「部屋にいたと言ったやろ!!」
「嘘をつけ!港にいたのを見た人がいるんだ!!」
「さーね、人違いじゃねぇのか。何度も同じ事聞くんじゃねぇよ!」
交互に鳴り響く机の悲鳴と若い男二人の怒号を聞きながらボスは押収した包みを俊之の目の前に放り投げる。それまで憤怒の形相でヤスに喰いかかっていた俊之の目に、明らかな動揺の色が走った。
「・・・・・!!」
「ヤス。」
顎で促されてヤスはポケットにしまっていたメモを俊之の目の前に差し出した。
「あ、それ?・・・ただのイタズラ書きよ。」
そう反応するも、声が上擦ってしまっている。これが何故今ここにあるのかという疑問に頭がめぐらないあたりその動揺の度合いが伺い知れる。
「・・・イタズラ書きか・・・成程。」
にこりと笑うベテラン刑事に俊之も薄っぺらな笑顔を返す。

瞬間。
ボスの手が物凄い勢いで俊之の襟首を掴み机の上に叩きつけた。呻き声の漏れた顔をそのまま引き上げると常には見せぬ鋭い目つきで俊之を見下ろす。
「ここまで足出しといてあまり手間かけさせるなよ・・・?」
決して大きくは無いのに部屋中に響く低い声と眼光の鋭さに、吊り上げられている俊之も傍で見ていたヤスも息を飲んだ。

――――――正に。これがこの男の真髄なのだと。

つくづく痛感させられる。沈黙が身を引締めるように痛い。そう感じながら見つめるヤスの意識を逸らしたのは俊之の情けない声だった。

「わかったよ・・・あの晩俺は港で麻薬の取引をしてたんだ。だから、部屋にいたって嘘をついたんだよ!判るだろ?叔父貴を殺ったのは俺じゃねぇ!!」
一気に吐いてしまうと幾分自我を取り戻したのか開き直りつつあった。
「さぁ、もう良いだろ。麻薬の方で俺を逮捕しろや!!」
「はい、ご苦労さん。・・・ヤス。」
手を離し部下に目配せをする。ヤスは頷いて俊之に手錠をかけると取調室から連れ出した。
「さぁ、行くんだ。」
「ふん、あばよ!!」
「おうおう。」
俊之の捨て台詞にボスは気だるげに手首を返した。


「ふーーーーー。」
煙草の煙が取調室を漂う。行儀悪く取調室の机に脚を乗せ寛いでいた所にヤスが戻ってきた。
「結局・・・俊之は殺しの犯人じゃなかったですね。捜査はふりだしに戻ってしまいました。」
溜息をつきながら歩み寄る部下を見ながらボスは考え込んだ。

一つの事件を解決したことに充足感はある。ただ、本来の目的である殺人事件の容疑者リストから一番怪しいと思われた人物が消えてしまった事については少し虚脱感を感じる。が、先はこれからと思えばまだまだ当たりをつける個所は沢山あった。

煙を強弱をつけて吐き出す。浮かんだ煙はドーナツ型の円をじわじわと広げ溶けていった。その仕草は先程とは別人の様だ。
「・・・これで賞与の査定ちょっとくらい上がるか?」
「さぁ。日頃が日頃ですし。」
結果が全てと言う物の、それに至るまでの逸脱行為。机に乗せられた脚を凝視しながらヤスが声に出して指折り数えてやるとボスは仏頂面を浮かべながら机から脚を下ろした。くすくすと笑う部下の笑い声を聞くと一層むくれて呟いた。
「こうなると一番怪しいのは被害者に多額の借金をしていた平田か。」
「京都に行く、と言ってましたね。」
「京都、って言ってもなぁ・・・。」
ボリボリと後頭部を引っ掻く。狭い日本、と言ってもここ神戸だけでも二人で捜索するのは相当な物なのに範囲が京都まで伸びては堪ったものではない。せめて京都のどの辺りかだけでも絞り込んでおきたい。
「観光旅行なら大歓迎なんだがなぁ・・・。あの嬢ちゃんに何か気がついた事があれば連絡してくれる様再度打診しといてくれ。」
「はい。その合間これからどうしますボス。」
「耕造の他の周辺を調べてみよう。新開地の『ぱる』とやらで。」

ボスは勢い良く立ち上がると壁にかけてあったコートを手に取り取調室を後にした。












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