・・(7)・・

 俊之に次ぐ耕造殺しの参考人だった平田の自殺。
京都からすぐ神戸にとって返してきたが、事後処理で自宅に戻ることができず、二人は仕方なくまた署の仮眠室で夜を明かした。

一夜明けて目を覚ますと既にヤスの姿はなく、ボスは適当に顔を洗い歯を磨いて部屋を出た。
執務室に入るとヤスが書類を見やすいように整理して机の上に置いている。彼本人は打合せの電話をしてる途中だった。書類に目を通しながら彼が一段落するのを待つ。

電話が済んで顔を上げた部下を見た瞬間、上司は鼻白んだ。

「・・・お前、ちゃんと寝たのか?何だその顔は。」
「大丈夫です。」
そう嘯く青年の顔は血が通ってないかのように真っ青で、目の下には疲労の影が酷く克明に刻まれている。著しい消耗は睡眠を殆ど取れなかったという物理的な事より精神的衝撃によるものだろう。


昨日の平田の首吊り死体は確かに見て気分の良いものではなかった。
だが何年も刑事をやってくればあれよりもっと酷い死体を見る事もあるし、現実にヤスも一緒に見てきた筈である。
慣れろ、とは言わないが事件を解決する為にもこれくらいの事で動揺してどうする―――そう昨日は一喝した。
彼の事を思っての事だったが、日頃は明るく仕事をそつなくこなす部下の憔悴振りはあまりに酷くそれを目の当たりにして初めて一喝した事を後悔した。十年以上も血生臭い現場を乗り越えてきた自分と一緒にするにはまだ早かったのかも知れない。


「真っ白な顔して何言ってやがる。とっとと宿直室で寝なおしてこい!!」
指でドアの方を指し示す。示された相手は首を横に振った。
「結構です。」
「お前・・・。」
「京都から連絡がありました。平田の検死結果がもうじき出ます。鑑識には終り次第連絡いれてもらうように今手配してますから。署長へ報告なさるのでしょう?」
「・・・・・。」
「・・・・・。」

互いに強い語調で交わされる会話。
昨日と同様の気不味い沈黙が流れた。
「その、何だ。気分が悪いなら今日は一人でやるからもう帰れヤス。・・・倒れられたら俺が困る。」
「・・・ボス。」
昨日の手前、言い辛そうに呟く。ヤスは苦笑いを浮かべ答えた。

「本当に大丈夫ですボス。仰る通り、甘える訳にいきません。ボスの足手まといにはなりませんから・・・」
「そういう意味で言ってるんじゃない!!」
力任せに目の前の机に拳を下ろす。大声を出すつもりはなかったが、思う事の一部も伝わってないのが腹ただしくて言い返す台詞に必要以上に熱がこもった。

ヤスは小さく頷いて視線を落とし少し間をとってから口を開いた。
「・・・・夢に出そうなんですよ。」
「・・・・。」
「そう思うと恐くて今は一人で眠れないんです。・・・笑ってくださって結構ですよ。」
「・・・・笑わんよ。」
「今晩はちゃんと休みます。大丈夫です、ボス。」

表情は憔悴を極めていたが上司を見上げる目には有無を言わせない強い意思がはっきりと見えた。見下げる方が根負けして頭を掻き大きく溜息をついた。昨日とすっかり立場が逆転してしまっている。
「無理はするな。いいな。」
「ありがとうございます。」
「そうだな、気分転換にでも行ってみるか?」
「え?」
「シルバー劇場。」
「・・・・・ボス。僕を肴にしないで下さいよ。」
ようやく部下の顔にいつもの笑顔が浮かんできて雰囲気が和らいだ。


室内の内線電話がけたたましく鳴った。ヤスは手馴れた動作で受話器をとり暫く静かに内容を聞き入っていたが途中驚愕の表情を浮かべ、小さく声を漏らした。すぐに電話の主に礼を言うと受話器をおいて向き直る。

「ボス!平田の検死結果が出ました。死亡時間は17日の午前1時頃・・・何と、平田は耕造より先に死んでいた・・・!」
「そうか。・・・そうだろうな。」
死体の状況と遺書から何となくそんな気はしていた。報告を受けても動じる事無く考えこむ。そんな上司と机に置かれた平田の遺書を見比べヤスが憐れむように呟いた。

「こうなると・・・平田は逆に耕造からの陰湿な催促によって追い込まれたんでしょうね・・・。」
「由貴子を呼んでくれ。・・・周辺の聞き込みとな。」
「ボス。まさか。」
「・・・単なる確認だ。」
山川耕造殺害の重要参考人として上げられていた平田もまた完全に対象から外れた。己の命を持ってして白星をつけたのだ。また、捜査はふりだしに戻ってしまった。
しかも今度は父を亡くしたばかりの少女に詰問しなければならない。今度は彼女自身が容疑者となる可能性が出てきたからだ。気の重くなる作業に自ずと表情は険しくなり口からは重い溜息ばかりが漏れた。


呼ばれた少女の目は赤く腫れていた。
父親が死んだ知らせは昨日の時点で彼女に伝えられている。
多額の借金を背負っての父の自殺。法的に言えば、親の借金を子が背負う事は無い。それでも、彼女のこれからを思うと痛ましい。

「すまないね。こんな時に呼び出して。」
「・・・いいよ。別に。」
家にいても借金取りが騒いでるし、と呟く。ヤスを迎えに遣した際、平田の自宅には他の金融業者が何人か詰め掛けていた。刑事と判った瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げていったところを見ると相当性質の悪い金貸しにも手をつけていたようだった。

「お父さん、残念だったね。」
「親父は馬鹿よ・・・何も自殺する事ないのにさ・・・。」
いつもの強気な言葉遣い。たが、言葉の一つ一つに込められる感情の激しさに内心の動揺が伺える。再び湧き上がってきた感情の波を押さえきれず赤く腫れ上がった目から涙がボロボロと落ちた。ヤスがポケットからハンカチを出して由貴子に渡す。由貴子は何度か頷いて手渡されたハンカチで涙を拭うとボスの方に向き直った。

「それで、あたしに何の用?」
少女の視線をを真直ぐに受けながらボスは静かに切り出した。
「17日の夜、君はどこに居たのかな。」
「家に、いたよ。」
前回と同じ質問に同じ様に答える由貴子を見てボスは小さく首を横に振ると横に控えるヤスの方を見た。
「でも、君があの夜出かけるのを見た人がいるんだ。」
「・・・・!!」
少女の目が大きく見開かれた。

由貴子を迎えに行く前に平田宅周辺で聞き込みをした結果、彼女が夕方過ぎに外出する所を近くに回覧板を届けに出た人が見ていたのが判った。先日の供述が嘘で、外出時間が時間だけに無視する訳にはいかなかった。

「それにこの指輪・・・。」
ヤスは前回の聴取の時見せた指輪をそっと目の前に置く。キラキラと光る金色の指輪が物言わず由貴子を映し出した。由貴子は暫くそれを見つめてこくんと俯くと肩を落として話始めた。

「判ったよ。言うよ。7時頃、確かにあの屋敷に行ったわ。」
「どうして?」
「親父にもっとお金を貸して貰えないかなって。相談に行ったの。これはその時に落としたのよ。」

ヤスが驚いたような表情を浮かべる。
その顔を見て由貴子は小さく笑った。
「見たでしょ刑事さん。親父、別のとこからもっと借りててその取り立ての方が凄かったんだよ。あの人だって催促してきた事あったけどずっと優しかった。だから、ひょっとしたらと思って・・・借金取りの事話したら貸すって言ってくれたんだ。」
「・・・君が山川邸を出たのは?」
「7時半頃。刑事さん達あたしを疑ってるんでしょ?でも、親父を助けようとした人をあたしが殺す訳ないじゃん!そうよ、あたしが・・・せっかく・・っかく・・・のに!!!」

最後は泣き声で言葉にならなかった。そこまで一気に話すと箍が外れたように大きく泣き崩れる。親しい親族もおらず、父の債権者に囲まれ今までずっと我慢していたのだろう。
「馬鹿親父・・・っ!!」
「話してくれてありがとう。君も、君のお父さんもお疲れ様だったね。」
ボスはそう言って机につっぷして声をかみ殺すように泣く由貴子の頭を撫でてやると落ち着くまで署でゆっくりするように言い、婦警を一人つけて帰してやった。


「ボス・・・。」
「ああ。」
「あの、彼女は違うと思います。」
「シロだという証拠もはっきりしていないがな。」
「ボス。」
「俺も場合違うと思う。思いたいな。死体の傷口から見て彼女があの角度で首を一突きするのは無理があるし、父親の件を考慮すれば尚更だ。」
ボスの説明にヤスが安堵の表情を浮かべる。

「他を当たるのが懸命だろうな。・・・それにしても耕造だ。いくら娘が泣きついたからって金貸してる相手にまた金を積んでやるってのは変わってるよな?」
「平田の自殺は耕造の所為じゃなかったんですね。小宮の件もそうですが僕には耕造という男が判らなくなってきました。ボス。」
「俺は最初から判らん。金貸しなんて奴はな。」

殺人と金銭トラブルは友人関係と言って良いだろう。貸す方も、借りる方も、疑心暗鬼と自己保身に駆られドロドロとした応酬を繰り返した末どちらかが相手を殺す。
とちらも加害者であり被害者でもある。耕造の生業を拒絶する訳でもないが、できればどちらにも無縁でありたいと思う。

「・・・どうなるんでしょうかあの子・・・。」
「そうだな、自宅の店は抵当に取られるだろうし親戚も逃げ回ってるそうだから近々学校は替わるか辞めるかせんといかんだろうな。管財人か弁護士くらいはつくと思うが・・・。」
今尚心配そうに話すヤスにボスは溜息をつきながら答える。考えても暗い話題しか出てこず、うんざりして話すのを止めた。

「借金の為に親が自殺・・・さぞ、悔しかったでしょうね。その気持ちが判るような気がします。」
「ヤス・・・?」
同情と言うには過敏な台詞に部下を見上げるとヤスはどこか心あらずな表情で取調室のドアを見つめている。不思議そうに見上げるボスの目線に気付いて慌てて振り向いた。

「あ、すみません。べらべらと。」
「いや構わんが、問題はこれからだ。」
天井を見上げ溜息をつく。今日何度目かの溜息の中で一番深く長かった。
「少なくともこれで耕造に近しいものは全て潰れてしまった。後は正体不明、住所不明の河村という男くらいだ。もう一度関係者に話を聞くとしても時間がかかりそうだなこれは。」
「新開地あたりでしらみ潰しに聞き込むしかないでしょうね。」
「そうだな。ぱるのマスターにも協力してもらうか。行くぞ。」
「はい。」
取調室から出ようとノブに手をかけた時、ボスは後ろをついてくるヤスに振り返りいきなりネクタイを掴んで引っ張った。

「それと。定時になったらお前は帰れよ。いいな。」
「ですが。」
「命令だ。」
殊更仏頂面を誇張して凄む上司に噴出しそうになる。上司の無茶は気になるがここで無理を言っても聞きはしないだろう。その辺りのラインは心得ている。
「・・・はい。」
「よし。」
満足気に笑うと二人勢い良く署を飛び出した。


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この季節は日が暮れるのはあっという間だ。前言通り部下の帰宅を見届けると十何人目かの通行人に声をかける。ぱるのマスターから河村の名前を確認し、色々当たってみたものの今日は結果が出そうになかった。

河村政次。
今は所在不明でもいつか必ずどこかで現れる筈だ。生きている限り。
何らかの形で耕造に関与していたのは間違いない。おそらくは悪い意味で。
何日、何ヶ月かかろうと必ず引きずり出す。
何年かかろうと迷宮入りにさせるつもりは毛頭ない。

だが何故か今回は何かが違うような気がするのだ。

捜査に時間がかかるのは常である、紆余曲折を経るのも日常茶飯事。そんな中で長い間培った経験と勘はいつだって自身を叱咤し支えてきた。勘だけで動くのもどうかと思うが人を殺す人間と言うのはどこかしら迫力というか雰囲気が違う。
だからこそ最近時々感じる違和感が何か判らず途方にくれた。

何かが、いつもと、今までと違う。

ここで考えても埒があかない。情報を掴むのが先だろう。
煙草を一服、一気に吸って気合を入れ直す。偉そうな事を言った手前、弱気な所をみせる訳にはいかない。大体そんな所を見せた日には何を言われるか判ったものでない。からかうのはともかくからかわれるのは御免だった。
自嘲気味に笑うと仕事後の一杯を糧にボスは再び足を動かし、繁華街の雑踏の中に紛れていった。






























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