・・(8)・・

 あれから三週間。
花隈町・新開地周辺で靴をすり減らしながら探る多忙な日々が過ぎた。捜査本部の机の上でボスは報告書に目を通して書き込むと面倒臭げにヤスに手渡す。受け取とったヤスは眉をひそめ溜息をついた。

「もう少し綺麗な字で書けませんかボス。」
「ちゃんと清書してるだろうが。」
「・・・読める字でないと意味が・・・。」
内容は的確だが字が汚い。デスクワークはあまり好きではない上にここ最近の疲れが貯まってきているのだろう。いつにもまして読み辛かったがそれ以上は言わずヤスは書類をファイルに綴じた。立ち上がり、気分転換を兼ねてコーヒーを入れる。カップを目の前に置かれるとボスは緩慢な仕草でそれに口をつけた。

「そろそろ自宅の布団が恋しいんじゃないですか。」
傍目にはいつもと変わりないが、この三週間ずっと署に泊りがけで朝から晩まで駆けずり回っているのだから疲れない訳がない。睡眠は取れても慢性化した疲労だけは宿直室では補いきれないものがあった。

「んー。まぁ・・・な。そう言うお前はどうなんだ。」
「僕は一昨日帰りましたから暫くいいです。」
そうか、と一言返すとボスは大きな欠伸をして背を伸ばした。

河村の所在についての情報は未だ掴めていないが無為に時間が過ぎた訳でもなかった。小宮六助と沢木文江から再度聴取した所、新たな情報が出てきたのである。
曰く、

『夜中、地面の下の方から声が聞こえたりする事が時々あったなぁ。』
『社長の命令で河村という人にお金を届けた事があります。』

――――というものだった。前者はおそらく例の地下室関係の事と思われるがこの際頭の隅に置く。問題は後者である。昔の話で具体的な事はまったく覚えていないとの事だったが金額はかなりの額だったらしい。多額の金銭のやり取りや"ぱる"での確執。所在さえ掴めれば先が見える気がするだけに多少体に鞭を打っても捜査を進めたかった。

「帰る方が面倒なんだが・・・今週中に進展無しなら一旦帰るか。」
「今日も新開地ですか?」
「ああ、ついでに『ぱる』にも寄っていこう。あ、後な。」
「却下です。」
間髪入れずにヤスが窘める。

「・・・まだ、何も言ってないだろ。」
「ワンパターンなんですよボスは。遊びに行くくらいなら家に帰って大人しく寝て下さい。」
「寝るより絶対元気になる自信があるんだがなぁ。」
コーヒーを啜りながら愚痴るボスを傍目にやれやれとヤスは自分のカップに口をつけた。


「あ、いらっしゃいませ。」
『ぱる』店内。新開地を巡ってから遅い時間に来た事もあって店内は何人かの客で賑やいでいる。ボスは一般客風に気さくにマスターに話しかけた。
「変わりないかマスター?」
「全然ですね。あ、いや、そうだ。」
「・・・?」

マスターがカウンターで一人飲んでいる男性客を見やり、見られた客の方も気付いて顔を上げた。マスターが簡単に状況を説明すると男は頷き緊張した面持ちでボス達の方を向いた。

「この方、以前何回か河村さんと飲まれた事があるんですよ。」
「!!」
お互いいつもカウンター席で飲む程度だったがたまたま河村の羽振りが良かった時に彼の奢りで酒を酌み交わし、以降それなりに世間話をする付き合いをしていたらしい。しかし河村の件は思い出すのもウンザリといった顔でボス達の質問に答えた。

「そやけど刑事さんに言う程の事は何もないですけどね。話言うてもあの人自慢話が多くてね、気前いいのはありがたいんですけど折角の酒の味が半分になった気分ですよ。機嫌悪い時はあんまり話せんようにしてましたし・・・。」
「そうですか・・・。」
「ああ。そういや、新劇のおこいちゃんと親しいいうて自慢しとった事もあったな。随分惚れこんでたわ。ホンマかどうが知らんけど、ホンマやったらちょっと羨ましいよなぁ。」
男はそう続けると照れくさそうにマスターと笑った。

「おこいちゃん・・・?」
「ほら、こないだ言ってた夕日おこいの事ですよ、刑事さん。」
マスターがニヤリと笑ってボスを見る。すぐにその笑いの意味を悟ってボスは嬉しそうに繰り返した。
「シルバー劇場の夕日おこいと、河村が、ね。」
「・・・・・・。」
冷ややかな視線が後ろから注がれていたが気にせず振り返り部下に笑顔を見せる。
「ようやく手掛りが掴めそうじゃないか?」


二人の目前にある店は前回来た時と変わらず妖しい雰囲気を醸し出している。一人は威風堂々とした態度で看板を眺めて値踏みしている風にも見えた。残る一人はすっかり諦めた風に肩の力が抜けている。

「じゃ、行くか?ヤス。」
「・・・・・・。」
「おいおい。仕事だぞ?」
「・・・・・・凄く、楽しそうに見えますが。大体、何も正面から行かなくても・・・」
「じゃ、俺一人で行くからお前ここで待ってろよ。」

何時の間にか買った入場券をコートのポケットに直そうとするとヤスがその手を掴んで入場券をひったくった。
「誰も行かないなんて言ってません。一人で行かせられる訳ないでしょう。」
ボスは噴出しそうになるのを堪えると少し赤面している部下の肩を叩きシルバー劇場の中に入った。

丁度夕日おこいのステージの最中で観客の盛り上がりも最高潮を迎えていた。薄い布地を纏った女性達の中で"主演"の彼女は確かに群を抜いていた。河村やこの辺りの男どもが熱を上げるというのも頷ける。白い肢体も流れるような動作も濡れたような眼や髪も、体全体から醸し出される色香もこんな劇場で踊り子をやるには勿体無い気がした。
何にせよ彼女が事件の鍵を握っている、そんな予感が脳裏を巡った。

「いやー。凄かったなぁ。今度は仕事抜きで来ような!」
「あれって風営法ギリギリなんじゃ・・・。」
ステージが終了して客が劇場から出ていく様をのんびり見ながら嬉しそうにはしゃぐ上司を傍目にヤスが返す。部下の赤面具合は今が最高潮のようだった。

「固い事言うなよ。面白くなかったのかお前。」
気を殺がれたようにボスが覗き込むとヤスは顔に手を当てたまま言い返す。
「誰もそんな事は言ってません。」
ボスは今度こそ堪えきれずに噴出し、ヤスはすぐに上司の脇を小突いた。

閑散とする場内に清掃員が入る。
いつまでも席を立たない客を不審に思ってか場内にいた係員が近づいてきて眼光鋭く二人を見下ろした。雰囲気からその筋の人間だと匂わせている。
「お客様、ステージは終了しております。次回のステージをご希望でしたら再度・・・」
「ああ、すまないな。こういう者だ。」
あしらうような態度が警察手帳を見せた瞬間に一変した。叩けば埃の出る事際限ないだろうがそれは他の仲間達にまかせる事にする。

「心配しなくてもおたくの経営にケチをつけに来た訳じゃない。先日花隈町で起きた山川耕造氏の事件について夕日おこいさんに少し話を伺わせて貰いに来たんですが・・・よろしいですかね?」
不審な目で二人を見ていた係員は暫く待つ様に告げると慌てて事務所に戻っていった。それから10分程して係員が体躯の良い男をつれて戻ってきた。男はおこいのマネージャーだと名乗り、すまなそうに詫びた。

「刑事さん、申し訳ないんですが後1ステージ残ってましてね。もう券も前売りで何枚か出てるんですよ。それに山川さんの事なんて知らんというてまして。・・・今日のところはお引取り頂けませんかね?後日こちらから電話致しますので・・・。」
物腰は柔らかいがその目は有無を言わせない凄みが滲んでいる。
「それは・・・。」
ヤスが反論しようとしたところをボスはすかさず止めた。
「成程、男の楽しみを奪っちゃ申し訳がたたんでしょうな。いいでしょう、連絡をお待ちしましょう。この件に河村という男が関与している可能性がある、とお伝え下さい・・・ですが、できれば早い目にお願いしますよ。お互いの為に。」
にこりと笑うとボスは連絡先を手渡し男二人を一瞥するとヤスを引き連れ劇場を後にする。


「いいんですかボス。あのまま放っておいて。」
「うん、まぁ大丈夫だろ。」
「彼女が関与してる可能性もないとは言い切れないと思いますが。河村の名前を出して良かったんでしょうか・・・。」
横を並んで歩く部下の台詞にボスは頭を掻いて呟く。
「うん、まぁ・・・勘だ。」
「・・・ボス。」
「そう呆れるな。あれだけ派手にやってればよほどやましい事のない限り逃げはせんだろう。まぁ店が惜しけりゃ連絡してくるだろうしな。それより、彼女の経歴は今日調べられるか。」
「はい。署に戻ればある程度は。」
「もう暫くは別荘暮らしだな。」
「そうですね。」
広くもないし庭もないですが、と付け加えると県警への足並みを早めた。


署に戻れば既にシルバー劇場から連絡が入っていた。夕日おこい本人は聴取については前向きで明日にでも出頭するとの事だった。現地の対応と雲泥の差である。内容から察して痛いところを探られるよりかは大人しく従っておくに越した事がないという意思がありありと見える。
既に日付けは変わっていて仮眠室で横たわる上司と机に置かれた連絡票を見比べながらヤスはぼやいた。

「こうしてみると結局、普通に呼び出しかけたら良かったんじゃないですか・・・?」
「んー?まぁ、いいじゃないか。それなりに役得もあった訳だし。あっちが来てくれるってんだから大人しく署で待とうや。」
同じく机におかれた入場券の半券が視界に入りヤスはおずおずと問う。

「あの、これ、やっぱり経費で落とすんですか?」
半券にはもちろん劇場名も『ストリップ』の見出しもはっきり印字されている。正直このまま経理に提出したら何を言われるか、どんな噂をされるのか判ったものではない。
「当り前だ。仕事なんだから。先に寝るぞ。」
「・・・署長に何て言えばいいのやら・・・。」
あっという間に寝息を立てた上司の気楽さが羨ましい。とはいえ疲れているのはお互い様で、ヤス自身も布団に身を預けると幾間もおかずに睡魔が襲ってきた。
「眠気も染るのかな・・・。」
先日の眠れなかった事が嘘のようだ、と思い終える前に彼も意識を手放した。


夕日おこい。
任意で出頭してきた彼女はステージと同様美しかった。先の沢木文江や平田由貴子とは違ってまさに女性の色香を体現した人物だった。シルバー劇場の看板嬢であり、ヤスの調べでは宝塚出身だという事らしいが真偽の程は定かではない。それでも妙齢の美人という形容詞がぴったりだろう。だが逆にこちらの質問にどれ程答えるか計りかねる雰囲気もあった。

「昨日はいきなりすみませんでしたね?」
ボスが言いながら煙草を薦めるとスイと一本取り上げ火をともす。
「かまへん。オーナーから聞いてるわ。河村さんの事やろ?ちょっとあの人しつこうて困ってんのよ。釘さしてもらうのに丁度ええと思ってね。」
軽く吸い吐き出すと笑みを浮かべて話に乗ってきた。チラリと横にいるヤスを見やる。

「山川耕造氏が殺害された事はご存知で?」
「ああ・・・テレビで見たわ。」
耕造の質問に関しては興味無さ気に受け流す。小さく頷くとボスは続けた。
「それじゃまず、先月17日の9時頃どこで何をされてましたか?」
「あら、何?うちも疑ごうてんの?」
「いえ、お約束ですよ。これも仕事の内なのでお気を悪くなさらないで下さい。」
ニヤリと笑い返すと気を悪くする風もなく耳にかかっている髪を掻き揚げながら答えた。

「その日の時間なら舞台の上とちゃうかしら。昨日は刑事さん達も来てくれたんやってね?」
スケージュールの詳しい事はマネージャーが管理してるわ、と付け加え嬉しそうに笑う。魅了するかのようなその笑みは若い刑事を赤面させるのに十分だった。

「ええ、素晴らしかったですよ。流石は看板を背負ってらっしゃる程の事はある。なぁ?」
双方にからかわれ赤くなった部下に追い討ちをかけるとボスはすぐに話を切り替えた。

「河村とはどんな御関係で?」
「そうやねぇ、熱心なファンってところかしら。まぁ、懐が暖かい時は色々してくれるから嬉しいんやけどちょっとタイプじゃないわ。」
「いや、そうでなくて。」
判って話を逸らしているのではないかと勘繰りをいれるが彼女は何とも無く話し続けた。
「そういうたら最近見てないなぁ。どこにいるんやろ・・・。」
「居所とかはまったくご存知ないんですか?」
「たまに連絡してくるけどその度に住んでるとこ変えてるんよあの人。もちろん電話番号もね。連絡してきた時はそれはもうウンザリするほどしつこいんやけど。」
溜息をつく仕草も絵になるようだった。

「・・・そうですか・・・。」
彼女の表情は美しいが計り知れない。嘘をついている様には見えないが知っている事の全てを話したようにも感じなかった。おそらく自分にとって有益な事柄に対してのみ興味が働くのだろう。ボスの表情をみて見透かしたように彼女が笑った。
「でも、まぁ、また近いうちに連絡してくると思うからその時は知らせてあげる。あの人に釘さしてくれたら後は刑事さん達の好きにしたらええわ。それより・・・。」
先程から横目で見ていたヤスの正面に立ち下から見上げる。

「な、何か?」
「刑事さんええ男やねぇ。独身?」
「え、・・いや、僕は、」
「上司さんも悪くないけどやっぱ若くて綺麗な方がうちは好きやな。」
ふわふわと回りを動きながら品定めをするかのごとく若い刑事を凝視する。その視線と彼女の醸し出す雰囲気に絶え兼ねてヤスは上司に救いの眼差しを向けた。
「・・・・ボ、ボス・・・」
「知らん。」
外見はともかく年の事に触れられて気分を損ねたようで、頼みの上司は両腕を組んで微動だに動かない。どっちがどっちだというヤスの心の叫びも聞こえる訳は無く彼女の手が肩に触れた。次に動いた時は脱兎の如く逃げ出そうと相手の顔色を伺うがそれ以上おこいは動かず、代わりに意味深な笑いをヤスに向ける。

「そうやね・・・刑事さんの方がええ男やから特別に教えてあげるわ。死んだ山川耕造って人ね、昔河村と詐欺仲間だったんやて。」

そんな理由でさらっと重要な内容を言われては聞く方の立場もあった物ではない。尚も彼女の告白は続く。

「あの人ら詐欺の常習犯やったんよ。で、それをネタにゆすられてたんとちゃう?あの人酒が入って金ヅルがどうの、何時もいうてたから。」
ヤスの目が一瞬見開き、おこいを凝視した。得意げに微笑み返すとボスを見返す。
「どう、お役にたった?」
「ええ、ありがとうございます。」
椅子から立ち上がりボスはおこいに礼を述べた。詐欺常習という見当がついたなら河村の経歴を洗い出すのは訳も無い。山川についても何か出てくるだろう。あっさり過ぎる気もするがこれでこちらから動ける事も多くなる。

「ほんじゃ、この人貰っていってもええかしら。」
「どうぞ。」
「ボ ス ! !」
「冗談だ。冗談。」

慌てる部下を宥めながらもやはり上司はそれ以上動かない。何時の間にか両手を首に絡められ今度こそ身動きの取れなくなったヤスは必死におこいをはがしにかかった。
「また御縁がありましたら・・・。」
「つまらん台詞を返すなよヤス。」
「ボスは黙ってて下さい!!」
何とか体が触れないよう半泣きで奮闘していた彼におこいは何か気付いたように問い掛けた。

「刑事さん、ひょっとして出身は淡路?」
「え・・・。」
「うちの劇場に淡路の子いてるんやけど、発音とかちょっと似てるなぁなんて。」
「・・・僕は灘の方です。」
たわいも無いおこいの問いにヤスの表情が固くなる。
「あら、残念やわ。せっかく共通の話題でお話できると思ったんやけど。そっちの上司さんは?」
「一応東京ですよ。こっちに住んでかなり経つんで大分感化されましたがね。でも淡路と灘の違いは流石に判りませんよ。」

女性の扱いに四苦八苦している部下に苦笑しながらボスがようやく助け舟を出す。調書を記入するようにヤスに指示を出すとおこいはすんなりヤスを解放した。彼女は高価そうな腕時計を見やり髪を何度か掬う。
「そろそろ仕事の時間やわ。この辺で帰ってもええかしら。」
「おこいさん、御協力ありがとうございました。また何かありましたら。」
「そうやね、また教えてあげるわ。いつになるか判らへんけど。」

後ろ向きに手を振りながら帰る彼女を見送り、ボスは席に戻ると大きく息をついた。

「詐欺か。それくらいやっててもおかしくは無いな。商売が軌道に乗ってる時に警察沙汰にはしたくなかったんだろう。」
調書を纏める部下を背にボスは考え込んだ。前科持ちなら絞込みも容易いだろう。現在の所在は判らなくとも手は打てる。近日中に本人が姿を現す可能性も非常に高い。
「ヤス、明日そっち方面で名前があがってないか調べてみよう。何か出てくるかもしれん。」
「…はい。」
暗く、鈍い反応に後ろを振り向く。壁に向けられた調書用の机で部下は手を休める事無く先程までのやり取りを纏めている。上気していた顔色が元に戻って最初より薄くなったような印象があった。
「ヤス?大丈夫かお前?」
「え?大丈夫ですよ。それよりボスこそ大丈夫ですか?」
後ろから覗き込まれてヤスは慌てて振り返る。いつもの笑顔で逆に心配されてボスは肩を回しながら呟いた。

「・・・・そうだな。そんなに遅くもないし、署長に経過報告して久々に今日は帰るか・・・。」
「もう少し整理したら僕も帰る事にしますから安心してお休みください。また明日。」
「老体に鞭打つ事もないし?」
「ひがみっぽいですよボス!!」
部下の返しを聞きながら大きく伸びをする。三週間ぶりの自宅は何があるという訳ではないが休むにはうってつけだった。この時間ならかなり休める事だろう。明日また心機一転で捜査に集中できる。ヤスだけ残して帰るのは流石に気が引けるが彼も帰宅するのなら問題はない。

「じゃあな。」
「お疲れ様でした。・・・飲みに行ったら意味ないですからねボス?」
「うるさい。黙って寝るから心配すんな。お疲れ。」
気力というのは大した物で緩めると今までの疲労がどっと押し寄せてくる。今日はよく眠れそうだった。



そして、彼は後にこの日自宅に戻った事を一生後悔する事になる。


===================


やっと見つけた。

これで全てが終る。

何もかも全て。


新築の小奇麗な家に灯が灯っている。
玄関のすぐ隣にある窓は薄いカーテンがひかれていたが誰かがその部屋にいる事は十分判る。その人物はそわそわとして誰かを待っているように見えた。

軽くドアをノックする音が部屋に響く。
待ち人来たりで中にいた人物は嬉しそうに返事を返した。
「空いてるよ。」
だが返事の答えは返らず、ドアも沈黙して動かない。
「・・・?」
遅い時間に、彼女しか知らないこの家を来る者など他にいる訳がない。いつもならすぐに開くドアが開かないのは土産でもあって両手がふさがっているのか。それとも焦らしているのか。
大事な来客を待たせるのも何なので男は慌ててドアを開けに行く。

「どうした、おこいちゃ・・・」
ドアを開いた先には待ち人ではなく見知らぬ男が立っていた。
「誰だ、お前。」
「・・・判らないのか。」
一瞬の沈黙が二人を包んだ。


この男は何を言っているのか。
判らないに決まっている。
セールスかと思えば不躾にふざけた台詞を吐きやがって。


そう、思うと期待を裏切られたのも手伝って迎えた男の頭に血が上る。
「何言ってんだ、てめ・・・・っ!?」
怒鳴って叩き出してやろうと顔を突き出した瞬間、真下に鈍い光が走ったのを捕らえた。その瞬間凄まじい衝撃が喉を突く。再び喉に衝撃が走り、先程見えた鈍い光が今度は深紅の色に染まって孤を描いたのが視界に移る。
そして今まで味わった事の無い激痛と息苦しさが襲いかかった。
「グァッ・・・・!!・・・・ァ・・・・!・・・・・ゴフッ!!!」
何が起こったのかも判らず喉を押さえる男の胸を招かざる客人は手袋をした右手で突き倒す。そして後ろを振り向き静かにドアを閉めた。足元でナイフに刺された男は何度か跳ねると先日死んだ男と同様に動かなくなった。それを見下ろす瞳の色も暗く沈んでいる。


・・・あの男は自分を覚えていただけまだマシだったのかもしれない。だが彼らの罪は同等で許しがたい物に変わり無い。

「これで・・・」
己がすべき事は全て終らせた。後はこの『違法行為』の後始末だけ。
握っていたサバイバルナイフを死んだ男の右手に握らせる。
「・・・これから、か。」
こんな事ではおそらく誤魔化されないであろう人物の顔が脳裏に浮かんだ。すぐに頭を振って気持ちを切り替える。こんな状態で思い出すべき人物ではない。


処理を済ませ足早に帰路を歩む途中、今になって手が震えてきた。咄嗟に左手で右手首を力の限り握り締め深呼吸を繰り返す。積年の想いが払拭された今、ずっと影を潜めていた罪悪感が己の意識に昇ってきたのが判る。己が常に目指してきた理想と乖離した行為。再び先程の顔が浮かぶ。


思い出すべきではなかったのだ、彼の事を―――――――――








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