・・(9)・・

 明朝6時15分。
枕元に置いてある電話がけたたましく鳴る。受話器を取り上げるのにさほど時間はかからなかったが受話器に向かって発する声は自然と不機嫌さを漂わせた。

「もしもし・・・。」
のそりと上半身のみを起こし受話器を抱える。また署長からの電話かと思ったが生憎と部下からの電話だった。


『真野です。おはようございますボス。すみません、少し早いと思ったんですが夕日おこいからタレコミがありました。河村の居場所が特定できましたのでご連絡を。』


掛け布団を跳ね除けて飛び起きた。
「場所は。」
『"スミレ荘"という所です。住所は確認してあります。』
「すぐに出る。所でお前どこからかけてるんだ。」
『署です。キリのいい所で・・・と思っていたら結局遅くなってしまいまして。』
「・・・判った。門前で待っていてくれ。」
『はい。』
見かけによらず思い込んだら一直線な所は相変わらずだと半ば諦めて自分の支度を始めた。
早々に床についたお陰か心身ともに随分すっきりしている。中々所在が掴めなかった河村のヤサがこうすぐに発見できたのはついているかもしれない。お情け程度に顔を洗いボスは自宅を文字通り飛び出した。


河村が潜んでいるスミレ荘は小奇麗な借家だった。朝早い所為もあって人通りも少なく、当の室内も人が動く気配は感じない。静かにドアノブを握り、確認がてらそっと回すと鍵はかかっておらずボスは眉をひそめてヤスに合図した。
「・・・踏み込むか。」
頷く部下を確認すると勢いよくドアを開ける。その瞬間、部屋に充満していた血の臭いが鼻を突いた。すぐそこには男が一人床に倒れていてその首から夥しい血が流れドス黒く床を染めていた。

「っ・・・!!」
男は既に死亡していた。おそらく彼が河村であろう事は間違いない。彼の右手にはその首を刺したと見られるナイフが握られている。山川耕造の時と同じ様に。

「やられた・・・!」
「署に連絡してきます!」
「くそっ・・・・!」
吐き捨てるように呟く。それから物言わぬ男の顔を見つめた。いかにも悪人顔で何人も他人を食い物に生きてきた顔だった。その死に顔は驚愕と苦痛に醜く歪んでいる。この男が事件の鍵を握っていたであろうに目の前でその鍵を取りこぼしてしまった―――してやられた。


「ボス、すぐに鑑識がやってきます。それにしても・・・。」
署に連絡を入れたヤスが戻り後ろから口を開く。死体を見ていたボスはと周りをざっと見渡した。
「部屋を荒らされた形跡は無しか・・・。」
「はい、凶器のナイフは河村の手に握られてます。警察に目をつけられた事をおこいから聞いたのかも知れませんね。」
ボスがヤスの方を振り返った。ヤスは淡々と話を続ける。
「もう逃げられないと観念して自殺を・・・。」

「違う。同じだ。」

「ボス?」
「耕造の時と同じだ。」
耕造と同じく河村も"殺害"されたのだと暗に示す。再び死体に視線を落とす上司にヤスは納得いかないとばかりに詰め寄った。
「ボス、耕造は密室殺人という手の込んだ状況で殺されています。河村の場合見たところドアの鍵も開けっぱなしで、先に言った通り部屋も荒らされてません。自殺と考える方が・・・。」
「勘だ。」
「・・・・・。」
死体を見つめたままそれ以上何も言わない上司にヤスも口をつぐむ。
「急がなくても河村はもう逃げん。鑑識を待とう。結果は自ずと出る。」


鑑識が現場に到着し現場検証が始まった。第一発見者が自分達だっただけに色々手間が省けて良かったが気分はかなり良くない。死体を目の前にして死体担当の鑑識が手を動かしながらボスに話し掛けてきた。

「仏さんまだ柔らかいですね。死んでからそんなに経ってませんよ。」
「どれくらいか今判るか?」
「そうですね、丁度硬直始まったところですから大体3・4時間程前ってとこでしょう。」
「そうか。後は頼む。」
「はい。」

鑑識の説明を一通り聞くとスミレ荘を一旦離れ、近くの販売機でコーヒーを飲みながら考え込んだ。この事件を担当し始めてから3人もの人死にが出ている。内一人は自殺としても関係者が立て続けに死亡というのはどう考えても異常過ぎる。しかも3人目はつい直前に死んでいるのだから不自然極まりない。

「まいったな・・・。」
頭を掻きながら呟き、飲み干したコーヒー缶を握り潰した所にヤスが探しにやって来た。
「ボス。」
「ん。」
「鑑識は一旦引き上げるそうです。どうなさいますか。」
「現場は確認したしな・・・以後の検証はまた別の奴にまかせるさ。」
伏目がちにヤスが質問する。
「やはり・・・自殺では無いと?」
「むしろ同一犯じゃないかと思う。」
「・・・。」
「まぁ、確定するのも早過ぎるがな。ただ傷口が一緒な事と二人の関係を考えると自殺というよりも関連して殺害されたと考える方がしっくりくる。」
「傷口は僕も見ましたがナイフの形状は別物でしたよ。」
「刀傷ってのはな。」
ボスは潰れたコーヒー缶をナイフに見たててヤスの前で一振りしてみせた。

「何使ってもそいつの癖ってのが出る。筆跡なんかと似たようなもんだ。握りや突き方、引く時の手首の回し方なんかが判りやすい。左右反対なら判別は難しいが殺すつもりで刺す時は力の入る利き手使うに決まってるしな。」
「・・・。」
「何件か似たようなケースを見た事がある。・・・連続殺人の可能性なんて判っても嬉しかないけどな。」
勘と嘯きながら自身の経験に裏付けた確証があるのだろう。上司の頭に"自殺"という項目は一切除外されていた。
「何にしてもまたふりだしだ。・・・やれやれ、随分物騒な事になってきた。」
「そうですね・・・。」
一連の連続殺人が同一犯人だとしてこれで打ち止めになるか更なる被害者がでるか。それは犯人のみが知っている。金銭絡みか怨恨か、それすらも今の状態では推理する事は難しい。それを知っていただろう証人は鑑識によってその身を委ねられている。
ボスはまた頭を掻くと空き缶をゴミ箱に放り投げた。

「ここで急いても仕方ない。タイミング的に夕日おこいが気になるが・・・こうなると知っていたら絶対に連絡はしてこなかったろう。だが他に誰かに漏らしていないか確認する必要はあるな。・・・一旦署に戻るとして、お前先に昼飯食ってこい。俺はこれからすぐ署長に報告に行かなきゃならんから帰りに弁当でも買ってきてくれればいい。」
「はい。」
ヤスに小銭を手渡しパトカーの無線で署に連絡を入れる。渡された小銭を一瞥してヤスはボスを見た。
「ボス。」
「肉が入ってたら何でも良い。頼んだぞ。」
「・・・はい。」
ひらひらと手を振り歩き出した上司を部下は黙って見送った。


署に戻り署長に今日の顛末を報告するとボスは誰もいない執務室に戻った。腹の虫はそろそろ大鳴きしそうだったがヤスが戻らない以上宥め様もない。空腹を紛らわせるのもあって手元の電話で昨日聞いたおこいの自宅に電話を回した。

『・・・もしもし?』
既に時計は午後1時を回っていたがまだ眠っていたのだろう。不機嫌そうな声が返ってくる。自身に通じるものを感じ苦笑が漏れそうになったがすぐに飲み込んで名前と用件を伝えた。
「ちょっとお伺いしたい事があるんですがまた署に来て頂けますかね?」
『明日ならええけど・・・それより河村さんどうやったん?』
段々と意識のはっきりしてきた張りのある声が無邪気に問うてきた。その声に何の含みも感じない。先程まで眠っていたのならニュースもまだ見ていないのだろう。おこいが様子を伺ってくる。

『どしたん?』
「私達が伺った時には既に亡くなられていました。」
ボスは静かに今朝スミレ荘で河村が死んでいた事を告げた。電話の向こうで息の飲む音が聞こえ、すぐに驚愕に変わった。
『ええ?!死んだ・・・?いつ?!』
「昨夜未明に。」
殺された、とは言わずに伝えるとおこいは一瞬の絶句の後、憐憫を帯びた静かな声で続ける。
『うちが電話もろた時はめちゃめちゃ元気そうやったのに・・・仕事前やったからつれなくしてもうたけど・・・それならもうちょっと優しくしたったらよかったなぁ・・・。』

「・・・・・・仕事前?」
今度はこちらが絶句する番だった。
彼女からのタレコミは今朝早朝だと思っていたのだ。彼女の仕事前となると連絡があったのは昨夜の話になる。昨夜のうちに踏み込んでいれば河村は死なずに済んだかもしれない。沈黙してしまったボスにおこいは不審そうな声色を出した。

『え?うん、昨日の10時頃かなぁ。河村さんから連絡あってね。刑事さん達泊まりこんでる言うてたから電話したんやけど・・・上司さんは帰ってはったんやろ?あの若い刑事さんに言うたんやけど。』
「あ、ええ、報告はちゃんと伺ってますよ。はい。取り急ぎすみませんが今日・・・無理なら明日署までお願いします。」
ボスはさっと受け流すと時間を確認し受話器を下ろした。

おこいのタレコミがあったのが昨日の10時過ぎ。タレコミを受けただろうヤスから報告を受けたのが今朝の6時過ぎ。捜査が詰めの段階に入っている現状で8時間近くも情報が放置されていた事になる。
まして担当したのがあのヤスであるのに関わらず。今までにあり得なかった状況に一瞬思考が停止しかけた。
「・・・どういう事だ?」
壁時計を見上げると1時半になろうとしている。もうすぐ当の本人が戻ってくる。ふいに湧いた疑問の塊をどう払拭するか頭の整理もままならぬうちにボスは立ち上がり執務室を出た。


ヤスが執務室に戻ると机の上には分厚いファイルが無造作に積まれそのファイルからこれまた無造作にいくつかの書類が引っ張り出され山となっていた。散らかした犯人は自分で取り出した何点かの書類にチェックを入れ読みふけっている。机の上の惨状に呆気にとられたヤスが弁当を置く為に心ばかり整理したところでようやくボスも顔をあげた。
「・・・戻りました。ボス。」
「おう。」
「珍しいですね。ボスが真面目に机に向かってるのは。」
「言ってろ。ちょっと調べ物をするのに手間取ったがな。たまにはお前を見習ってみた。」
「それなら整理整頓も見習ってくださいよ・・・。」
力なく返すと買ってきた弁当を差し出し茶を入れに向かう。それを傍目にボスは手元に寄せてあったチェックの入った書類を山のてっぺんに乗せた。

「河村の経歴だ。」
飽きもせず、凝りもせず、と言えば良いのだろうか詐欺を重ね続けて前科6犯。その被害金額は計りしれない。詐欺については担当外だが名前を思い出せなかったのが不思議なくらいだ。
事件になった分で6件もあるのだから法律スレスレで表沙汰になってない件は数知れないだろう。茶を机の上に置き乗せられた書類を手に取ったヤスにボスは静かに口を開いた。

「・・・ヤス。」
「はい?」
「夕日おこいからの連絡は今朝入ったんじゃないな?」

ヤスの視線が書類からボスに移る。声と表情こそいつもと変わらないが部下を見つめる上司の目は深刻さを帯びていた。ヤスはその視線を逸らす事無く真正面に見据え、普段通りに質問に答えた。
「・・・ええ、前日の10時過ぎに署に連絡がありました。自分はステージがあるから行けない、と。ボスが帰られてから丁度1時間程後の事です。」
「どうして連絡だけでもしてこなかったんだ。」
「随分お疲れの様子だったのでせめて一睡してから・・・早朝でも間に合うと判断したんですが、申し訳ありません。こんな事になるならすぐ御連絡すべきでした。」
二人は暫く黙って互いに見つめあっていたが先にボスの方が溜息と共に視線を逸らした。ヤスの視線がその仕草を追う。

「いや・・・もういい。だが、らしくないなヤス。いつもは平気でこき使うくせに。」
苦笑いを浮かべヤスが買って帰ってきた弁当の袋を軽く指で弾いた。
実際疲れていたのは確かだが部下に変に気を回されてしまう様では話にならない。それは己自身の力不足に起因するだけに部下だけを責める訳にもいかない。

「こういう時は次から気を使わなくていい。結果論だしな。」
「・・・はい。」
すまなそうに返事を返すヤスの頭を軽く叩き笑うと袋から弁当を取り出し自分の周りの書類を無造作に集めまたてっぺんに積み上げた。今度はその重みで端のファイルが何冊か机から転がり落ちる。気にする風も無く箸を付け始めたボスに小さく笑うとヤスは落ちたファイルを拾い上げ脇に寄せた。
「明日また夕日おこいから何か聞けるかも知れんし河村の周辺を探れるだけ探っておこう。」


翌日夕方、おこいが再び署にやって来た。
流石に河村が死んだ所為もあってかあまり乗り気ではなかったがここで知らぬ存ぜぬを通すのも得策でないと思ったのだろう。河村の殺害時に関しては彼女がステージに立っていたのは何人もの観客が証人となってシロであることが立証されている。
河村の居所は自分は他に漏らしていないが彼自身が他に漏らしていたかどうかは判らないと二人に告げた。

「河村とのつきあいで他に何か貴女に漏らした事などありませんか。」
「他言うてもなぁ、自慢が主やったし。ギャンブルとか詐欺の事とか・・・。」
「何でも、誰の話でも結構です。」

何分か雑談に応じていたおこいは暫く自分の髪を弄びながら考え込むとふと思い出したように口を開いた。

「そういやあの人言うとったなぁ。洲本の沢木産業の詐欺が耕造とやった一番大きな仕事やて。」
「沢木・・・産業?」
「昔は結構有名なとこやったらしいよ。あっちで大きいとこって目立つし。・・・そう言うたら秘書の名前が偶然一緒で驚いたとか何とか・・・。」
「沢木文江。」
ボスの低い声におこいははっとしたように顔を上げ口を閉じた。
「あ、ウチ要らん事を。悪いけど舞台があるよってこの辺で、さいなら。」
変に恨まれたら敵わないとばかりにおこいはそそくさと立ち上がり止める間もなく部屋から出て行った。ヤスがボスに指示を仰ぐ。

「・・・どうしますボス。」
「行かせてやれ。それよりもだ。」
低いトーンのままボスはヤスに次の指示を出した。
「今すぐ沢木文江を呼び出してくれ。任意同行をかけてもかまわん。」
「しかしボス、彼女は耕造殺害時にはアリバイが成立してるんですよ?」
「かまわんと言っている。出頭させろ。」
「・・・・はい。」
上司の声質と表情にこれ以上は言っても無駄と感じたヤスは指示通りすべく部屋を出る。ボスは一人室内で待ちながら状況を整理した。
沢木という姓が偶然の偶然の一致とするにはこの状況ではむしろ不自然で、彼女が山川と河村によって何らかの被害を被り何らかの形で関与している可能性が高い。

ヤスの言う通りアリバイはある。しかしおこいの話を聞く限り彼女が重要参考人である事ははっきりした。沢木文江と初めて会ったとき何かが引っかかっていたのはこの事だったのだろうか。昨日調べた被害者の前科の中に沢木の名は無かったが。
河村が死んだ以上、今度こそここで取り逃がす訳にはいかなった。


それからかなりの時間を要してようやくヤスが戻ってきた。一人で慌てて戻ってきた部下をボスは不審そう見やった。

「どうした?」
「・・・沢木文江に連絡が取れません。」
「何だと!」
部下の報告に思わず机を叩き席を立つ。ヤスは息を整えながら淡々と報告を続けた。
「自宅にも、事務所にも居ません。英会話教室も問い合わせましたが少し前に脱会届が出ているそうす。」
「出るぞ!!」
聞き終えるや否やコートを掴み取調室を飛び出した。慌てて後ろからヤスが追いかけて来る。車に乗り込みすぐに発車するよう指示する。エンジンをかけてハンドルを握るとヤスはボスに問い掛けた。
「どこに行ったのか判らないのにどう探すつもりですかボス!」
「洲本に行く。このまま港だ、フェリーが出てる。」
「・・・え。」
「おこいの話の通りなら文江の実家は洲本、淡路島だ。故郷に戻るかもしれないし戻っていなくても沢木産業の件について知ってる者も何人かいるだろう。そこから割り出せるかも知れん。」
「・・・・・・。」

ヤスのハンドルを握る手が微かに震えたが車の振動に紛れて本人すら気付けなかった。




















































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