・・(11)・・

 洲本から神戸に戻ると一枚の地図が二人を待っていた。
殺された河村の部屋から出てきた物らしく、地図は乱暴に折りたたまれた跡があり所々破れていた。

「何でしょう、どこの地図でしょうか。」
細かに入り組んだ間取りは迷路の様で、机の上で広げながらヤスは首を捻る。
「・・・こりゃ、山川邸の地下迷路じゃないか。」
地図を一見して言い当てたボスにヤスは驚きの表情で振り返った。
「ボス?」
「忘れようがねぇだろ、あんなふざけた造りの家。」
「いや、それはそうですけど。」
現地は何時間も彷徨い歩いたがその記憶と机上の地図がすぐ結びつきはしないだろう。それにしても地図の無い状況でよくも無事に戻れたものである。自分達の運の良さを実感すると共に悪寒に近い震えも思い出してヤスは再び地図に視線を落とした。

「どうだ。」
「これによるとまだあの地下には秘密があるようですね。隅に走り書きがしてあります・・・前3左8左4右5左・・・、後は破けています。これは?」
「前3左8左4右5左・・・。」
走り書きを読み上げるヤスの台詞を復唱しながらボスが地図の上で指を走らせた。
「この辺りか。成程、何かありそうな間取りだな。」
迷路は総じて複雑に道が交差していたが最後に指を指した場所付近は四方を囲うように大きな空間があった。
「・・・そう言えば小宮の爺さんが地下でどうとか言ってたな・・・。」
ボスは少し考え込むとヤスに向いて口を開いた。

「もう一度行ってみるか。」
「あの地下迷路にですか?」
「現場百遍、当たるにしかず。耕造が地下で何をやっていたのか調べる価値はあるかもしれん。文江が見つからない以上あてもなく探し回るよりはいいだろう。」
「はい。」
「・・・こう何か、子供の頃の宝捜しゲームを髣髴とさせるな。」
「探検に行くんじゃないですよ。」
地図をしげしげと眺める上司は進まない捜査に焦燥する訳でもなく、楽しそうにも見えてヤスは苦笑した。
「もう少ししてから出よう。そうだな、今度は準備した方がいいな。頼んでいいか。」
「明日用に湿布も買っておいたほうがいいですかね?」
からかうように笑ったヤスの背中をボスは何も言わずはたき倒した。


早々と準備を整えると再び山川邸を訪れた。事件から一ヶ月弱、主人を失った館は見た目の荘厳さは変わらぬものの、その雰囲気は前回訪れた時よりも暗く色褪せているように見えた。応接間のボタンを押すと書斎の床が再び口を開く。薄暗い足元を懐中電灯で照らすと二人はゆっくりと階段を下りた。

中は変わらず真っ白な壁が周囲を囲んでいる。階段を下りたところで地図を開き、走り書きの内容を確認すると足を進めた。白い空間に二人の足音だけが響く。黙々と隣をついて歩くヤスを横目にボスがふと口を開いた。
「なぁ、ヤス。」
「はい。」
「・・・・・・。」
静かな空間の中で、ボスは忘れようとしていたあの洲本での疑問を思い出していた。何気なしに話しかけたものの、あの時と同じ様に具体的な問いかけが思いつかない。遠回しに聞くのも不自然だし、気を使うのも釈然としない。何故こんなにひっかかるのか漠然としていてボスは内心舌打ちした。
ヤスは不思議そうな表情を浮かべて上司を見上げる。
「何ですかボス?」
「お前な、」

ボスが口を開こうとした瞬間、二人の後ろを壁が滑り落ちてきた。大きな音が迷路内に響き、壁が退路を塞いぐ。
「またか。」
「またですね。」
「まぁ、今度は地図もあるし迷う事は無いがな。」
「心臓には良くないですよ。」
落ちてきた壁を背に、そう言いながらも流石に2度目とあって二人の顔に驚きの色は出ない。ヤスは地図を開き、閉ざされた通路にチェックを入れた。別に退路がある事を確認し、二人は再び歩き始める。
「行きましょうか。・・・それでボス、何か。」
「後でいい。」
ひっかかる事に変わりはないが今はこの忌々しい迷路の謎に迫る事を優先すべきだ。不審そうに首をかしげる部下を他所にボスは頭を切り替え正面の分岐に向かって足を早めていった。


「走り書きの通りならこの辺りの筈です。途中で切れてますからもっと先があるかもしれませんが。」
長い通路の前で地図を見ながらヤスが説明する。その前をボスが壁を睨みながらうろついていたがおもむろに壁に手をつき、軽く拳で小突いた。少し響いた音が返ってくる。
「やはりな。柱にしては四辺の距離が長いと思ったらこの辺りだけ壁が薄い。中は空洞・・・隠し部屋か?」
「でも入口が無いですよボス。」
「この周囲の壁をあたるぞ。」
「はい。」

二人で怪しいと感じた壁周辺を手で叩いて回っていると先の方でヤスがボスに向かって叫んだ。
「ボス!ここだけ特に周囲の壁と音が違います。」
ボスが駆け足で歩み寄り何度か小突くと先程よりもはっきり響く音が返ってきた。強く押してみると軋むような感触もある。
「脆そうだな。行くか。」
「はい。」
お互い顔を見合わせ、頷き合うと壁に向かって体当たりを始めた。
「せーの、えい!」
何度目かの体当たりで壁は右前方から開き、くるりと回った。一回転した壁に押される形で二人は部屋の中に足を踏み入れた。目の前には大きな部屋が広がっていた。
「これはまた・・・。」
「机と椅子だけで何もありませんね。」
目の前に広がる正方形の部屋には机と椅子だけが中央に設置されているだけで他に何もなかった。隠された部屋にしてはあまりに素気なく、肩透かしを食らった感は拭えない。部屋の周囲を見渡しても特に怪しい箇所も、物も見つからない。部屋の内壁を叩いても先の入口のような特別な反応は返ってこなかった。
「これだけ丁寧に隠しておいて何も無い事はないだろう・・・。」
「こんな所で耕造は何をしてたんでしょうね・・・。」
呆れにも似たヤスの台詞にボスが閃いたように振り向いた。
「そうか。ヤス、叫べ。」
「は?あ、そうか。小宮が地下から大声が聞こえたと言っていましたね。」
「物は試しだ。いけ、ヤス。」
「僕一人でですか?」
「勿論。」
上司から発せられた小恥ずかしい命令に一瞬恨めしそうに睨んだものの、相槌を打った手前反論するタイミングを失いヤスは仕方無しに覚悟を決めた。
「何も出なかったからって笑わないで下さいよ・・・いきますよ、あたたたたーーー!!」

大きな声を上げた瞬間、目の前の壁と上司の肩が崩れて落ちた。
「わっ!開いた!!」
ヤスの視線は目の前の崩れた壁に向けられていたが、ボスは崩れた体勢を手前にあった机で立て直し恐々と部下を見やった。
「お前、それ・・・。」
その視線には明らかに動揺の色が浮かんでいたが部下は満面の笑みで答える。
「一回やってみたかったんです。すっきりしました。」
「そうか、そりゃ良かったな・・・。」
時々部下が読んでいたとある漫画本の内容が頭を過ぎったが、屈託の無い笑顔にそれ以上突っ込む気を失いボスは目の前の崩れた壁に視線を移した。壁には小さな長方形の穴が開いていた。
「しかし本当にふざけた造りの家だな。どーなってんだ一体。」
「何か入ってますね。帳面・・・?」
壁に開いた穴には一冊の帳面が収納されていた。日記帳の様だった。


「見てみましょうか。」
頷く上司を横にヤスは中の日記帳を取り出し表紙を捲った。
何頁か読み進むに従って先程まで明るかったヤスの表情が血の気を失っていく。
「・・・・・・。」
何も言わず頁を捲り一心不乱に読んでいたが日記帳の終盤に差し掛かった時、ヤスは大きく目を見開きそのまま固まったように動かなくなった。
「・・・・・・。」
「ヤス?どうした。何が書いてある。」
ボスが身を乗り出し日記帳を覗き込むとヤスは弾かれたように身を返して二歩程距離を取った。部下の奇妙な反応に対して訝しげに眉をひそめると日記帳を渡すよう促した。
「貸してみろ。」
ボスの命令に俯きがちに頷くとヤスはボスに日記帳を手渡した。


「この日記・・・は、耕造のものです・・・。」
そう呟くヤスを横目に手渡された日記帳を捲り読み始めた。綴られた字はお世辞にも上手と言えなかったが、一字一句丁寧に書き込まれており書き込んだ人間の様子が思い浮かばれた。
「ボス、・・・それによると、彼は文江が沢木の娘である事を知っていた。知っていて、秘書に雇った。沢木の子供達に罪滅ぼしがしたい、・・・と。」
「・・・。」
頁を捲る音が後に続いた。
「本当に、本当に・・・後悔していると。そんな事が延々書かれています。残された二人の子供の為に心を鬼にしてでも金を貯めて残したい・・・とも書いてあります。」
黙々と読んでいたボスが日記の一部を読み上げる。
「最後に、二度と、あんな間違いを起さぬように自戒の念を込めて。日付は16年前の11月・・・か。」
ボスの台詞をヤスはただじっと俯いて聞いている。ボスは日記帳を閉じ、大きく頭をかき回した。

「耕造があの出来事から未だに犯罪まがいの金貸しなんてやっていたのは・・・この為だった・・・んですね。」
「・・・・・・。」
ヤスが俯いたまま小さな声で話続ける。
「も、もし、文江の兄が犯人だとして、この事を知ったら・・・。きっと、きっと・・・後悔するんでしょうね。ボス・・・・・・。」
「・・・そうだな。」
俯き一句一句搾り出すように声を出す部下の肩をボスが軽く叩くとヤスはボスの顔を見上げた。その顔を見てボスは息を飲んだ。  


途方に暮れたような弱々しい、今にも泣き出しそうな顔だった。
彼のこんな顔は今まで見た事がない。
仕事で辛い思いをさせてもこんな表情は見せた事がなかった。

己が陥れた人物が自殺。残された幼い子供達。
良心の呵責に苛まれて罪を償おうとしたものの、その気持ちが通じる事なく復讐の刃に倒れた男。

陥れられて全てを失った子供達。
十数年、怒りと憎悪に身を焦がして復讐の刃を振り落とした彼ら。
これから自戒の念に苛まれるだろう兄妹。

残されたのは物言わぬ死体とやりきれない現実。
被害者、加害者共に救われない。
同情を禁じえないのは確かだが何故ヤスがそんな顔をするのか。
そこまで感情移入すべき何が彼にあるのか。


ボスはその顔を黙って見つめていたが暫くしてヤスはまた俯いてしまった。周辺の静かな空間が痛々しく感じる。
「日記は持って出よう。・・・行くぞヤス。」
「・・・・・・はい。」
ヤスの背中を一発大きくはたいて景気付けるとボスは日記を脇に挟み部屋を出た。



捜査本部に戻った頃にはすっかり日が暮れていた。
暗くなった窓の前でボスが電話を回し事件の報告を入れている。

「ええ。まだ犯人に結びつく情報は入ってません。はい、何か掴みましたら必ず。それでは。」
用件を短めに伝えると受話器を下ろして自分の席に腰を下ろした。机の上には書類と山川邸から持って返ってきた日記帳が乗っている。頬杖をつくと日記帳を手に取りパラパラと捲り始めた。

「ボス。署長に耕造の日記の件はお話にならないんですか。」
同じく自分の席に座っていたヤスがボスに問い掛けた。ボスが視線だけを部下に向けるとヤスはいつも通り、支障無く事務処理を続けている。それでも、常日頃に比べると精彩を欠いているようにも見えた。

視線を日記帳に戻して返事を返す。
「少し、整理してからでもいいと思ってな。2・3日中に折をみて話す。」
「そう・・・ですか。」
「何にせよ文江探しに全力を尽くすのが先決だ。」
「・・・確かに彼女には両親を自殺に追い込まれた恨みはあるでしょう。しかし文江にはアリバイがありますよボス。それでも捕まえるんですか?彼女の兄なら別の線で洗ってみては・・・?」
「秘書として被害者の元にいた事、兄貴の事、消息不明の事。無関係だと言うには無理があり過ぎる。・・・違うか?」
「・・・・・・。」
ヤスの意見を封じると日記帳を閉じて椅子の背もたれに体重をかけた。
「今日はこれで上がりだ。帰ってもいいぞヤス。」
「ボスは?」
「・・・ん、もう少しこれを読んでから帰る。」
「はい。」
頷いて帰り支度を始める為に席を立ったヤスをボスは呼び止めた。
「ヤス。」
「・・・はい、何でしょう。」
振り返った仕草がやはりぎこちない。ボスは表情を緩めた。
「すまないが帰る前にコーヒーを入れていってくれないか。」
「判りました。」
上司の表情にヤスは小さく笑って頷くとそのまま給湯室へ向かった。


机の上には黒い液体の入った大きなカップが置かれ白く薄い湯気と香気を揺らめかしていた。二口、三口飲んで手元に置きなおす。それから日記帳の上に参考人を写した写真を乗せていった。一番上に乗せられた文江の写真を見つめながら一人残った室内でボスはぼんやりと物思いに耽っていた。


小宮、俊之、平田、由貴子、河村、おこい・・・そして文江。

耕造の日記を読む限り十中八九、この事件に沢木兄妹が絡んでいるのは間違いない。
文江の兄の正体が未だはっきりと見えない上に手がかりである彼女もまったく行方が知れない。初めて彼女がここにやって来て、その時彼女に感じた言いようの無い小さな引っかかりは今にしてみれば合点がいく。いつもの自分の勘だろう。

だが文江の帰り間際、彼女に感じた既視感は一体何だったのか。

あの時は錯覚の様にも思えたが、事ここに至る以上それでは合点がいかない。一度見た顔は忘れない自信があるだけに釈然としなかった。洲本、山川邸と巡り、こっちに戻ってからヤスの調子もおかしいし、これ以上手間取る様なら署長に頼んで人員を増やして範囲を広げるか・・・。


自分の思考が一応の方向に決着した所で再び飲みかけのコーヒーカップに手を伸ばした。取っ手を持ち上げようとしたが手が滑り取り落としてしまう。反射的に身を引いたもののカップは床に打ち付けられ派手な音を立てて砕け散った。
「あー・・・やった・・・。」
破片を集めようと椅子に座ったまま身を屈める。中身が残っていた所為で足元の床は惨憺たる状態だった。部下の小言を言う顔が目に浮かんで苦笑が漏れた。


瞬間、頭の中で閃くように二人の人物の顔が重なった。


雰囲気や性別、骨格こそ違え似ている。似ていたのだ。特に目が。彼女の事はよく知らないが彼はよく知っている。ただ、そういう対象として見ていなかっただけの事である。見様が無い。
「・・・・・・。」
今まで散漫としていた事柄が自然と頭の中で整理されていく。
文江に感じた既視感も、河村の事も、洲本で感じた違和感も、自身が無意識の内に感じた空寒さも、あの日記を読んだ時の動揺振りも、何もかも全て一本の線に繋がった。
どう考え直してもその筋を否定できる事柄が浮かんでこない。
脳裏で展開されたとんでもない理論に思考回路が停止したように思えた。むしろこれ以上の考察を拒否しているといった方が正しいだろう。破片の上で止まっている手も、血が止まっているのではないかと思う程固まっている。

ボスはその手を力無く自分の顔に当てると背を屈めた姿勢のまま大きく息を吐き、小さくうめいた。その言葉を同僚が聞けば公僕としての資質を問われるだろう言葉を。

気づかなければ良かった。
己の記憶力がこれ程恨めしいと思った事はない。


それから暫くして一本の電話が執務室に響いた。


早朝、何時もの様に執務室のドアが開かれた。
ヤスが部屋に入ると日頃ギリギリにしか来ない上司が既に机の前で座っている。ヤスは小さく瞬きをすると笑って挨拶をしに歩み寄った。
「おはようございます。珍しいで・・・ボス!何やってるんですか!!」
少し近づいてみれば足元にはカップの破片が散乱していて床には茶色い染みがべっとりとこびりついていた。しかも電話の受話器も中途半端に置かれ、ツーツーと小さな音を鳴らしている。
机の前で座っている上司は微動だにせず、目の前に置いてある被疑者の写真をじっと見つめているだけだった。自分の声に全く反応しない上司を横目にヤスは受話器を元に戻し、すぐに取り置きの新聞紙を広げて大き目の破片を拾い集めた。続けて小さな破片を慎重に拾いながら黙って座っている上司を軽く睨みつける。
「まったく、危ないじゃないですか・・・ボス?」
「・・・。」
上司のネクタイとシャツが昨日と同じ物である事に気づいてヤスは表情を変えた。
「・・・ひょっとして昨日からずっと・・・?」
部下の問いかけが終わるや否や、ボスは立ち上がり中腰で破片を拾っていたヤスを見下ろした。
「ヤス。」
「は、い。」
向けられた眼光の鋭さと低い声にヤスが一瞬うろたえて返事をすると、ボスは踵を返しコートを掴んで執務室を出る際に自分の後をついて来るよう促した。
「ついて来い。」
「あ、ボス!」
執務室を出てから後ろを伺う事無く黙々と歩いていくボスをヤスは慌てて駆け足気味に追いかけた。

署を飛び出て、ボスは駐車場に置いてあった車の運転席に乗り込む。後を付いてきたヤスが驚いてフロントガラス越しに叫んだ。
「ボス?!」
「乗れ、俺が運転する。」
それからまた口を噤んでしまった上司に呆然としながらもヤスは言われた通り助手席に乗り込んでシートベルトをかけた。それを確認するとボスは車を発進させた。


着いた先は港近くの倉庫だった。
建物の横に車を止めて降りるとそのまま何も言わず倉庫に向かって歩き始める。口を噤んでから車内でも車外でも一切喋らないボスの後ろをヤスも黙ってついて歩く。どこからか持ってきた非常口の鍵を取り出し、倉庫の入口を開くと中に入るように促した。
倉庫の中は大きなコンテナが何個も詰まれていた。照明はついていなかったが大きな窓が上の方から太陽の光を通して疎らに足元を照らしていた。

倉庫の奥に足を進めた所でボスは立ち止まり、後ろの部下を振り返った。
後ろを付いて歩いていたヤスも立ち止まり、前に立つ上司を見た。真っ直ぐ対面する形になって暫くどちらも黙り込んでいたがヤスの方が先に上司の名を呼んだ。

「ボス・・・。」
「・・・・・・。」
ボスは軽く目を閉じ、すぐに瞼を開くと部下の名前を呼び返した。
「ヤス。」
「はい。」
即座に返事が返ってくる。その返事に頷くとボスはヤスに命令した。


「服を脱げ。」


確信はあるが確証は無い。
洲本で聞いた稀有な身体的特徴がその証になるだろう。
無ければ問題無い。
己の推測が誤りだったとしてもいい。
後で機嫌取りに一日終始する羽目になってもいい。

仮に迷宮入りになっても、それでいいと思った。
今までそんな風に思った事はない。
だが今回だけは違う。違うのだ。


命令を聞いた瞬間、ヤスは息を飲み表情を強張らせた。視線こそ逸らしはしなかったが激しい動揺の中に特有の脅えが目を走ったのをボスは見逃さなかった。己の推測が正しかった事を直感し表情を歪める。

「なっ、何を。僕に仰ってるんですか?こんな所で僕に服を脱げと?ボス、性質の悪い冗談は・・・。」
「脱げ。」
「・・・・・・。」
短く、先程より低い声で命令を繰り返す。
有無を言わさぬ雰囲気にそれ以上ヤスは口を開けず固まった。
ボスは暫く押し黙ったまま睨み付けていたが一向に動かぬ相手に痺れを切らし、後ろに詰まれたコンテナを叩きつけ一喝した。

「脱げと言ってるんだ!!」

倉庫にコンテナの衝撃音が響き渡り、固まっていたヤスの頭が垂れた。
「わ、判りました・・・・・・。」
力なくそう呟くと背広に手をかけた。
上着、ネクタイ、カッターシャツ、と順に床に脱ぎ捨てられる。
最後に下着が脱ぎ捨てられた時、ヤスの左肩に赤い蝶の形をした痣が姿を現した。

「・・・!」
今度はボスが固まる番だった。
予想はしていたものの目の当たりにした衝撃は筆舌に尽くしがたい。
「ボス、見事な捜査でした。・・・多分、こんな事だろうと思ってました。やっぱり敵いませんね。」
「・・・・・・。」
自分の肩の痣に釘づけになっている上司を見てヤスは寂しそうに笑った。その顔には先程の脅えと焦りの色は消えている。
「見ての通り、僕が文江の兄です。山川耕造と河村政次を殺したのも、確かにこの僕です。両親を自殺に追い込んだあの二人を許せなかった。どうしても、許せなかったんです・・・。」
静かに、ゆっくりと、語り始める。その声は凛としていて意思の強さがよく表れていたが、どこか伺い知れない暗さも内包していた。

「・・・事件前日に休んだあの日か。」
「はい。あの晩、耕造を殺した後に部屋にあった鍵で外から書斎に鍵をかけました。」
「確かあの部屋の鍵は内側から差し込まれていた筈だ。」
ボスの台詞に何度か瞬くとヤスは首を傾げてみせた。
「ボス、判りませんか。」
そう言って台詞を続けようとしたその時、ボスの後ろのコンテナから人影が現れた。人影は二人の前にゆっくり歩み寄り、ヤスはその人物の顔を見て目を見張った。

「・・・その後は私が話します。」
「文江!!どうして!」
今まで姿をくらましていた沢木文江その人だった。驚くヤスとは対照的にボスは驚く様子も無く文江の方に顔を向けた。
「・・・昨日の晩電話を貰った。話がしたい、とな。だからここで待ち合わせさせて貰った。無論、お前の事は何一つ教えてくれなかったが。」

先程までのやりとりを見ていての事だろう、ボスに文江は少し困惑気味に話し掛けた。
「刑事さん・・・どうして。」
「・・・勘だ。」
文江の問いにボスはいつもの口癖で答えた。だがその口調も声質もいつもとは違っていた。
「そう、ですか・・・。」
頷き、諦めたように俯いた文江にヤスは叫んだ。
「何故・・・お前は逃げろって言っただろう!」
「お兄ちゃんは黙ってて!!」
文江は兄を振り返り一喝した。普段清楚で落ち着いた雰囲気の彼女からは想像し難い激しい反応にヤスも呆然と立ちすくむ。

「お兄ちゃんから鍵を預かった私は、次の朝小宮さんを呼んでドアを叩き開けて貰いました。それから小宮さんが死体を見て驚いてる隙に私が内側から鍵を差し込んだのです。もちろん、自殺と思わせる為に・・・。」
文江の告白にボスは大きく息を吐きヤスの方を向いた。
「河村は。」
「・・・花隈町で名を聞かせていた耕造はともかく、河村に関しては僕達にもはっきりした所在は掴めませんでした。おこいのタレコミは偶然でしたがこの機を逃す訳にはいかない、と。」
「殺したんだな。俺への報告前に。」
いつもは傍で聞く低いドスの効いた声がヤスに向けられた。
「・・・はい。」
「船に乗った文江を探しに洲本に寄った時もお前が手を回したんだな。」
「はい。」
「道理で・・・見つからない訳だ・・・。」
自嘲気味に笑うとボスは眉間に皺をよせて目を閉じた。
「申し訳ありません、ボス。結果的に貴方を謀る事になってしまいました・・・。」
「文江が居なければ今すぐここで殴り倒してやったぞ馬鹿野郎!!」
ヤスの謝罪の台詞にここにきて初めてボスは感情を爆発させた。元々声は大きい方だったがその叫びはいつもの比ではない。ボスの台詞が単なる威嚇ではない事は固く握りしめられた拳からも見てとれた。

「・・・はい・・・。」
それでもヤスは動じず申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「これで、全てお終いです。でも皮肉なもんですね。殺してから耕造があんなに後悔してた事が判るなんて・・・。あの日、あいつが最後に何を言おうとしてたのか・・・今となってはもう・・・判りませんよね。」
「お兄ちゃん・・・!」
「文江。」
堪らず駆け寄ってきた妹にヤスは笑顔を向けた。何か吹っ切れたような、それでいて寂しそうな笑顔だった。
文江は兄に肩を抱かれ涙ぐんだ。
「・・・河村については・・・後悔はしてません。奴は死ぬ間際まで・・・」
「もういい!」
続くヤスの告白を短く制するとボスは黙って俯き、ヤスは小さい声で謝罪の言葉を繰り返した。暫くの間沈黙が流れた。その静かさに耐えかねたのかヤスは意を決し両手を上司に差し出した。

「ボス、行きましょう。」
「何故俺がお前の指示を受けなきゃならん。」
差し出した両手には目もくれず、きつく睨み返す。ぶっきらぼうにつっぱねられてヤスはうろたえ上司の顔を伺った。
「・・・ボ、ス?」
「服を着ろヤス、来い!」
命令だけを押し付けると来た時同様、後ろを省みず倉庫の出口に向かって歩き始めた。
「え、あ、あの・・・!!」
「お兄ちゃん!」
床に落ちていたカッターだけを掴み、慌てて後を追う兄に文江も叫んだ。その声を聞いてボスがようやく立ち止まり文江に向かって口を開いた。
「すまないが明日またこの時間にここに来てくれ。まだこいつに用がある。・・・今日一日貸しておいてくれないか。」
「ボス。」
「・・・・・・。」
ボスは呆然としている二人を交互に見やるとまた背を向けて歩き出した。ヤスは離れて行く上司の背を暫くじっと見つめていたが文江に振り向いて小さく頷くと急いでボスの後を追った。

文江は残された兄の上着を拾い上げ、丁寧に埃を落とすと心配そうに二人が出た出口を見やり、それから上着を抱きしめて小さく嗚咽を漏らした。


































































































NEXT